松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

訴え:チベットにおける焼身抗議

国連事務総長バン・キムン殿


 チベットにおける焼身抗議が増え続ける状況に鑑み、我々シェラップ・ガツェリン(ソガ・スクール)の学生たちは、抑圧的植民地主義者中国がチベットにおいて歴史的にも前例を見ないような規模の悲劇とジェノサイドを引き起こしていることに対し、国連が介入と行動を起こして頂きたいと強く願う。私たち全員は、最近チベットを逃れ現在インドで勉強しているチベット人である。沢山の学生たちが故郷の隣人として焼身した人たちを直接知っている。私たちはあなたと共に憂慮を分かち合いたい。私たちは国連が提唱している普遍的価値である、自由、平等、正義、自治権等が全ての人々に対し平等に認められていると強く信じる。私たちは今、チベットで90人以上の同胞がダライ・ラマ法王のチベット帰還、自由、平等、正義を求め焼身するという、もっとも悲劇的な時期を経験している。他の国の人々が、チベット人が自由のために焼身しているということを正しく評価せず、当たり前のように捕らえていることに対し、非常な悲しみを覚える。中国の増大する経済力が世界をして中国を批判することを遠慮させている。…….


 自由のために闘うことは、みんなの闘いだ。しかし、国際社会一般、特に民主的国家の反応はショッキングで、怒りさえ覚える。明らかに、彼らの不正にたいする感覚は麻痺し、良心は鈍っている。チベットは、非民主的で凶暴な中国に対し沈黙するという、複雑な世界の犠牲となっている。今こそ、世界は中国の植民地的経済の陰から脱出し、チベット内で起きている不正と悲劇に対し声を上げるべきだ。チベットは小さな虫が大きな虫に食われるという典型的な例だ。弱者が強者から守られるとき初めて正義が示されたことになる。平等と正義と自由が認められる時、初めて正義が示されたことになる。


 私たちは故郷の人々の安否を気遣う。植民地政権はすでに仕返しとして様々な弾圧を強化してきている。恣意的拘禁、逮捕、公的補助金の停止、抗議デモや焼身に関係した人々に対する犯罪者としても調査、部隊の派遣等である。このような普遍的民主主義原理が危険に曝されている時こそ、国連の強く、勇気あるリーダーシップが求められている。チベット人焼身は人間の良心に訴えるものだ。チベット問題は、全体主義帝国主義、経済的覇権、軍国主義に対する国際社会の道徳的勇気が試される問題なのである。世界的責任感、道徳的勇気が今こそ必要とされている。私たちは中国政府が焼身者に対し無関心、無慈悲な態度を示し、チベット人の存続を危険に落としめていることに対し、国連が行動することを求める。さらに私たちは、国際機関に対し素早く行動し、チベットへ事実調査団を送ることを求める。真実と正義は嘘と作り事に打ち勝つべきだ。どうか、私たちの自由、正義、平等、そして真実を求める長い苦しい闘いに支持と連帯を示して頂きたい。


シェラップ・ガツェリンの全ての生徒より。」
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772085.html

ダラムサラ*1通信」によれば、「今日*2、下ダラムサラにあるソガ・スクール(シェラップ・ガツェリン)の生徒たち300人が、3時間程かけて上ダラムサラのツクラカンまでデモ行進し、ツクラカンの勇者の塔の前で集会を開いた。

全員黒い服、黒いマスクを付け、手には白いカタを捧げ、無言で葬式のような行進を行った。集会もほぼ無言のまま声明文が読み上げられるだけの静かで重々しい雰囲気で続けられた。」
とのこと。


「普遍的価値である、自由、平等、正義、自治権等が全ての人々に対し平等に認められていると強く信じる」事に、いわゆるポストモダン派は強く反対したようにも思う。
「辺境の地の少数言語民族の若者が、何かを(普遍に通じる事を)発言してもそれを聞こうとする人はいない」という状況認識がその反対の根拠にはあった。
ダラムサラは亡命者の社会であり、日本人とは危機意識において比較にならないので高校生でも英語が喋れる。(そして海外で取り上げられるためにはどのように喋れば良いかを学習している。)


だから、彼らの訴えを聞こうとするかどうかは、私たちの姿勢の問題である。

*1:ダラムサラ (ダラムシャーラー、Dharamsala) は、インドヒマーチャル・プラデーシュ州にある町である。1950年代末にダライラマ14世が多くの同胞とともにチベットから亡命して以来、チベット亡命政権が置かれている

*2:12/7