差別を禁止しても・・・

https://www.youtube.com/watch?v=rc6qdM4Cv7Y
「ミンデル『紛争の心理学』の「反差別主義」を入り口に熱く語る」という、三鷹ダイバーシティセンターの4人による討論がある。
ミンデルの本のなかで、「差別をなくすべきとする考え方、は偏見はなくならない ということを見落としている。」と一行にであったとき、田中かず子元教授が衝撃を受けたことが動画で表情豊かに表現されており興味深い。
「差別をなくすため」の活動を世界中の研究者・アクティヴィストは国家や行政末端と協力し、日々啓蒙活動とかをして努力しているわけである。そうした努力を一行で否定されても困る。そういう困惑だろうか。
正確ではないような気がする。単純な設問であるがゆえに、簡単な感想文も書きにくい。そこでほぼ諦めた。

 

彼女たちはこの本に「第10章 人種差別主義者は誰?」という章があるのに抄訳では省かれていることに気づき、著者アーノルド・ミンデル氏に連絡し翻訳した。
「人種差別がテーマですが、これを読むとあらゆる差別問題に通ずるものがありとても大切な部分。残念ながら日本語に訳された本にはこの章は入っていませんでした。
なので恩師でもあり著者のアーノルド・ミンデルに許可をいただき、私たちが訳したものを学びの参考資料として無料でみなさんと分かち合うことを承諾してもらいました。」とある。
https://www.facebook.com/mitakadiversitycenter/posts/219045062919115
こちらのページから誰でもダウンロードできる! 翻訳に感謝します。さっそく読ませていただきました。


この章の最初の文章も衝撃的である。
「自分は人種差別主義者ではないと主張するリベラルな人よりも、自分は人種差別主義者だと宣言する人の方が対処しやすい。」

パブリックな空間で「自分は差別主義者だと宣言する人」がどんどん増えると、世の中は価値(公正)の基準すら失って無茶苦茶になってしまう。書店などに嫌韓嫌中本があふれ政治家もそれに影響されている日本社会は、それに近い状態になっている。
ただ、ミンデルが言っているのは彼が参加するワークショップなど一定の親密さを作り出せる空間、関係性内部での話をしているのだろう。

・善意の白人男性 謝罪しこれからは前向きに生きていく、宣言。
ミンデルは社会活動家にロールチェンジする。
ミンデルは彼に彼の特権性を忘れるべきではないと説く。マイノリティは差別から立ち去ることはできない。
彼は階級と経済の問題の重要性を忘れてないか、反問してくる。ミンデルはそれは認めた上で、再度話す。
「私たちは葛藤を乗り越え、二人とも心を深く動かされた。」p4
この場合はこのような相互関係にたどり着くことができた。しかし、私が見聞した限り、差別問題での話し合いでこのような感動や和解に至ることはめったにない、と思う。
差別問題とは、差別者と被差別者の非対等性である。したがって糾弾される側がいろいろ自分の感じたことを語ったとしても、そのような思いは無視されて当然なのだということになる。糾弾される側はまったく納得しないまま「形だけの謝罪」をすることになる。ところが「形だけの謝罪」では解決しないのだ。
ではどうすれば良いか?

この問題が解決に至った一つのポイントはミンデルが下記のような自分の体験を思い出したことにある。
「他の⼦供たちが私を醜い反ユダヤ主義的名前で呼び、暴⼒を振っ
たとき、私は⾃分がユダヤ⼈の家庭に⽣まれたことに初めて気づいた。⿊⼈の⼦どもたちは、路上のケンカで⾃分の⾝を守り、勝つ⽅法を教えてくれた。」
自己が差別されどうしようもなくなった体験、そしてその時黒人との友情にであったこと。さらに、ユダヤ人が黒人からは白人(差別する側)にも見られるということもこの白人に語りかける時有効に働いたかもしれない。反差別言説はしばしば雄弁である。しかしそれが抽象的な上から目線言説であるとき、他人の心を動かさない。

 

主流派だけが差別主義者になりうる。差別は意図的行為としてではなく、制度や経済的格差という完全に合法的な形で行使される。であるから主流派は自分が差別を犯しているとは気づかない。
これをどうしたら良いか?

ダイバーシティ・トレーニング」やポロティカルコレクトネスといったものもある。それは服についた染みをぬぐうように、露骨な差別的な言語の使い方を矯正する。しかしそれはこの社会において「下層と認識される人々を踏みつける傾向を見えなくしてしまうこと」になるだけではないか。

しかし、一方でわたしたちはつながりあっている。真っ裸な赤子として生まれまたそれに帰ることによって死んでいく。マイノリティと呼ばれるひとたちとのつながりのなかで生きてきたのだ。だから関係性を認識し、気づき(アウェアネス)を獲得し、差別を変質させていくことができる。

テロリストに非暴力を求めるな!

アーノルド・ミンデルの『紛争の心理学』講談社現代新書、はとても興味深い本だった。ちょっと引用、紹介したい。
テロリズムの特徴は、平等や自由を目的に、権力を持たないグループが主流派に対して攻撃することである。
主流派に対する手当たり次第で道理に合わないと思われている暴力は、実際には、自由のために闘う人々が苦しんできた傷を埋め合わせる試みである。その目的は、権力を持つ人々に社会変革の必要性を気づかせることだ。テロリストの観点からすれば、自分たちが傷つけたり殺したりする主流派の人々はすべて、無辜の犠牲者ではない。主流派の人々はすべて、たとえ消極的なだけだとしてもテロリストが闘っている抑圧に関与している。」(p157)

21世紀は「米国同時多発テロ事件」から始まったとされ、特に日本ではテロリズム=絶対悪という用語法しか許されない、人々の思考もその枠内で動いている気がする。しかし本来、ミンデルの言うとおり「政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いる」という意味である。独立運動などもテロリズムから始まることが多い。1970年代アメリカ西海岸で発達したニューエイジ心理学といったもののなかから、ミンデルさんは出て来た方なのだろう。主流派の人々が支配するこの社会、ひととひとが対等に向き合っているように見えてもすでにさまざまな権力関係が埋め込まれていることを、に批判的に分析していく。
歴史とは大なり小なり動乱なのであって、自由のために闘う人々がテロリズムという手段を行使することはありうる。「テロリズムは文化変容の必要性がありながら、それが妨げられているときの時代精神である。」p154とミンデルは書いている。

「私のテロリズムの定義は、心理的な苦痛の原因となるグループ・プロセスにおける復讐を含む。過去の暴露や暴力的な脅かしは、この範疇に入る。
わたしたちはこのようなテロリズムをしばしば体験する。たとえば、ある異性愛の女性が、パートナーに「私の要求に答えてくれなければ、出ていくわ」といったとしよう。彼はこれをテロリズムとして体験する。彼女は、今にも関係を終わらせるような勢いで迫る。彼女は、相手が自分の欲求を大切にしてくれないと感じ、関係を破壊することだけが満足のいく目覚めをもたらすと考える。」

話が急に家庭内の関係、たぶん日本人でもよく体験するような、に移る。新聞のニュースになるような大きな政治的テロリズムと、小さな夫婦喧嘩が同質だと、ミンデルは真面目に考えている。
主流派男性が少数派の不満に耳をかさず、黙ったまま抑圧関係を持続させられると思っていたら、少数派は我慢ができなくなってテロリズムに訴えた、という話である点で同質性があるわけだ。

「意図的あるいは無意識的なランクの乱用」というものによって、「若者や女性、貧しい人や有色人種、高齢者、ゲイやレズビアン、「犯罪者」、虐待被害者」たちは、耐え難い抑圧の持続にさらされながら、それを虐待であると告発することができない。反応を禁じられて最後に暴力という形で表現することしかできなかった。したがってこのような場合、暴力的な反応に恐怖し、過剰防衛したり、法的に処罰を求めたり、スキャンダルとして社会の笑いものにしようとしたりするのは、まったく不適切な対応となる。

(さてここで「ランク」という言葉がでてくる。これはプロセスワーク理論にとって最も重要な概念。自分で気づいていないさまざまな特権やパワーを私たちはすでに持っているという考え方。社会的/構造的/文脈的/心理的/精神的など。)

個人が公正に闘うには、大きすぎ、強力で圧倒的な人々や集団によって、抑圧的な状況が作り上げられているのだ。そういったばあい、「テロリストは私たちみんなの中に現れる。」
主流派を乱し、脅かす、いわゆる「病理的、境界例的、精神病的」な人々は、実は、世界を変革する可能性を持っている、と考えるべきなのだ。

特に日本では調和が重んじられ、集団内部に対立を顕在化させることは極端に嫌われる。会議でさえ議論のない会議の方が良いとされる。まそれは、森喜朗氏の件で分かったように、既成の大ボスの権威を少しでも傷つけないという、ただの権力維持である。自由な意見交換を抑圧したことは、日本の経済発展にさえマイナスになったかもしれない。

民主国家はみなが平等であるという建前に立つ。異論があればそれぞれ発言すれば公正な議論によって公正な結論を得ることができることになっている。しかし実際は、少数派は自身の〈ランクの低さ〉によって自由に発言できない。絶望や抑うつ、憤怒といった問題に囚われている。それに対して、権力を持つ人々は、実は暗黙のうちに「おまえたちには耳を傾けたくない。おまえたちやおまえたちの問題は重要ではない。その問題と一緒に私からは離れていてくれ」という雰囲気を漂わせている。シグナルやジェスチャーや座る場所などで。
このようなちょっとした雰囲気の悪さといったものを、ミンデルは、〈ゴースト間の闘い〉として描写する。主流派のゴーストは「座れ、静かにしろ。誰がここに招いてやったんだ。云々」という。マイノリティのゴーストは「目覚めろ!お前は試されているんだ!おまえたちの家を爆撃するぞ。云々」と言う。

北アイルランド紛争の対立する当事者の集まりに招かれたミンデルは、最初やはりテロリストの側がたんに無作法であるかのように見えてしまっていた。
しかしそうではない。テロリストと呼ばれる彼らの怒りや傷つき、変容への欲求を理解しなければならなかったのだ。
ベルファストのある男性は、子供の頃、英国秘密諜報部員に父親が頭を撃たれるのを見た。彼は許すことができず大人になってテロリストになった。ある時牧師に話をすると牧師は彼の復讐心を理解した。心から同情的になったするとテロリストも変化した。

マイノリティに必要なものは、パン(経済的サポート)、自由、そして尊敬だ。しかし、主流派が彼らの悩みを推測し与えてやるということでは問題は解決しないだろう。そうではなく彼らに彼ら自身の問題を語ることを促すのだ。聞き手は、彼らの問題をオープンに取り扱うため、彼らを発見し支えようとし、そうであることを彼らの理解させなければならない。そうすれば解決は近づく。しかしその場で和解が達成されたとしても問題は解決したわけではない。不平等、不公正でない社会の達成は困難だ。

主流派も苦しんでいる。テロリストはある種の霊的ランクを有しているのだ。正義において、また死を恐れないという点で。
それをはっきり認識するのも大事なことであろう。しかし話し合いの現場ではたいてい、主流派がもっと包容力を示すことが、相互に変容していくことを促すことになっていく。

アーノルド・ミンデルの『紛争の心理学』という本の第6章を、書き写し的に紹介してみた。わたしにとって新しくまた貴重な考え方であると思ったからだ。
社会的・政治的な問題はそれ自身として解決すべきであり、心理的に解決すべきではない、というのは真実だと思う。しかし紛争/紛争解決は心理的問題でもあり、その時に、平和、安全、非暴力などを少数派に強要するだけでは問題解決にはならない。そのことを学ぶのは価値あることだと思った。(7.28一部修正)

金達寿の『玄海灘』を読んで

金達寿の『玄海灘』読んだ。
良い小説だと思う。
古くさい左翼あるいは民族主義的小説として、軽くあしらえるはずだという偏見があった。確かにこの小説は「古くさい左翼あるいは民族主義的」な志を肯定的に描こうとはしている。しかしそれを古くさいとして乗り越えた新しさ、そういう時代に私たちはすでに入っているというのは錯覚だった。現在はそのような新しい時代ではない。現に、来年は韓国においても新しいはずの文在寅後継政権はおそらく負けるだろう。日本に至ってはどこから見ても安物の独裁者安倍・菅が退場しそうにない状況だ。でも時代の新しさというものは、ファッションとかIT化とか表面的なもので決まる、その意味では充分新しいじゃないかといえば、そのとおりだ。
しかし「左翼あるいは民族主義的」思想と人間・文学の関わりという領域においては、80年間新しいものは登場しなかったのではないか。そう思いたくないがそういう気がする。

まあこの小説が批判しにくいのは、「左翼あるいは民族主義的」な志だけあってその具体的展開がほとんどゼロなところにある。金日成はあこがれの名前として、登場するだけで中身はない。活動を続ければ矛盾点がいっぱい出てくる。しかしそれが当然のことであるならば、それを批判したとしても、「左翼を否定できる新しいレベル」に立てたことにはならない。
私は長い間「反スタ」という言葉を大切にしてきた。ソフト・ハード含めたスターリニズムの総体を批判できない人に対して、その思想、実体化してしまっている何かを価値と勘違いし批判できないとしてしまう心性が批判されるべきだと考えてきた。それは正しかったと思う。
ただ、金達寿の場合は、この小説の場合は、組織なり思想なりが実体化するほど育っていない。したがって、その批判は届かない、ということが分かった。

『光州 五月の記憶』尹祥源(ユンサンウォン)評伝について

 『光州 五月の記憶』は、1980年の光州事件を、若くしてこの闘いに倒れた尹祥源(ユンサンウォン)の評伝という形で書ききったもの。この大きな事件を近付こうとするとき、比較的理解しやすい一つの方法だと思える。

 現在の全羅南道光州広域市光山区に 尹祥源(ユンサンウォン) は1950年に生まれた。二浪し1971年に大学入学。半端な気持ちを持て余し演劇部に入部。彼は新人でありながら「オイディプス王」の預言者テイレシアスの役になった。
 ところで、私(野原)もたまたま同じ年に大学入学し、演劇サークルに入った。わたしはその続編にあたる「アンティゴネー」で盲目の預言者テイレシアス(同じ人)のいざり車を引く童子の役になった。違った国、違った大学であっても同時期に同じようなことをしていたので、私は尹祥源をまんざら他人とは思えない気がした。どちらの芝居でもテイレシアスは台詞の多い難役であるが、童子は役というほどでもない端役。尹サンウォンは歴史に名を残すことになるが、私は(あえて言えば幸いにも)どんな劇的ドラマにも参加せず、「幸せな老後」を迎えようとしている。

 尹サンウォンは大学1年の時演劇部で活躍したが、二年に成らずに休学し令状を受け取り軍に入隊した。そして75年に復学した。彼は社会運動に目覚め、当局の厳しい監視を受けながら、狭い自室を開放しつつ熱心に学習会に参加した。彼は迷った末、卒業し銀行に就職する。収入など急に改善されたが、困窮のうちに生きる下層労働者や闘って弾圧される後輩たちと違った生き方を選択することができず、銀行を辞めてしまう。そして光州に戻り、工場労働者になったり、野火夜学という夜学に出会い、熱心に参加していくことになる。

1979.10.26、独裁者朴正煕は殺される。翌年春から民主化を求める民衆・学生の活動は各地で活発になった。5月14日から3日間、光州では全南大学生を先頭に大きな大衆集会が続いた。

5月17日、深夜までに金大中、高銀など民主化運動指導者と金鍾泌ら旧軍勢力を含めた多くの人が逮捕され、戒厳令が強化された。全斗煥のクーデターである。
18日朝、空輸部隊はいち早く全南大学を制圧していた。学生たちは二、三百人が正門前で抗議しようとしたが、兵士たちは棍棒を激しく振り下ろし流血の惨事となった。今までの警察のやり方とはレベルの違う残虐さだった。しかし、市中心部(錦南路)など場所を変えながら、学生たちは抵抗を続け市民もそれを支援した。
 
 空輸部隊の暴力はあまりに凄惨だった。「罪もない学生を銃剣で裂き殺し、棍棒で殴りつけてトラックで運び去り、婦女子を白昼、裸にして銃剣で刺した奴らは、一体、何者だというのでしょうか?」光州市民民主闘争回報。このビラを作ったのが尹サンウォンと彼の仲間の夜学グループだった。空輸部隊などの圧倒的暴力を見て、恐怖に震えながらも、市民たちは戦い続けた。

5月22日、驚くべきことに市全域から戒厳軍が完全に撤退した。
「粘り強い市民の武装闘争で勝ち取った自由光州解放区……、あれほど恐ろしく強大だった軍部の権力を、民衆の力で打ち砕いた解放光州……。この感激的な勝利をどう守っていくのか。」p180
重傷者への輸血のための献血者も殺到した。身元不明の遺体は道庁向かいの建物に整然と並べられ、家族たちが確認に訪れる(ハンガンの『少年が来る』に描かれた情景)。

しかし圧倒的強力な武力、国軍に包囲されているという絶望的情況は変わらない。この情況において、地元有力者らが「収拾方策」派として登場した。武器を回収し戒厳司令部に引き渡すしかない、というのだ。この主張を代表していたのが学生の金チャンギルであり、一時道庁のヘゲモニーは彼に握られる。

収拾派は言う「政治的、理念的話はしない。人道的、平和的に事態を収拾する。」しかし、ここでそれを了承すれば、死んだ者たちには「政治的、理念的」意味はなかったことになる。すぐに秩序は平穏に戻り、国軍の権威は100%保持されままになる。無垢の市民が殺されたことなどなかったことになってしまう。

5月26日午後、尹サンウォンは外国人特派員の前で会見を行う。
「光州市民と全南道民は、このような殺人軍部の蛮行に対して、蜂起したのです。空輸部隊を追い出すために、われわれは自ら武装したのです。誰かが強要したのではありません。市民が自分の命を守り、さらに隣人の命を守るために武装したのです。軍部のクーデターによる権力奪取の陰謀を粉砕し、この国の民主主義を守るために蜂起したのです。」
「私たち市民は、この事態が平和的に収拾されることを望んでいます。そのためには戒厳解除、殺人軍部クーデターの主役、全斗煥の退陣、拘束者の釈放、市民への謝罪、被害の実態究明、過渡的民主政府の樹立などの措置が必ずとられなければなりません。そうでなければ、私たちは最後の一人まで闘うつもりです。」p211

27日「今夜十二時までに武器を返納しなければ、市民の安全は保証できない」という戒厳司令部の最後通牒が発せられた。
28日午前2時ごろ、尹サンウォンらは最後の戦いのための体制を整えようと、武器庫で武器を配った。尹サンウォンはまず言った。「高校生は外に出ろ。われわれが闘うから、君らは家に帰れ。君らは歴史の証人にならなければならない」

「たとえ彼らの銃弾を受けて死んだとしても、それは、われわれが永遠に生きる道なのです。この国の民主主義のために、最後まで団結して闘いましょう。そして全員が不義に抗して最後まで闘ったという、誇るべき記録を残しましょう。」

日本の戦後民主主義は、ここまでの緊張関係を生み出すことはなかった。したがって「命を掛けて」という修辞はどうしても多少浮ついたもののようにわたしたちに感じられてしまう。
日本人は戦後新しい国家と憲法を手に入れ、それが保証している民主主義は大きなところでは揺るぎないものだとわたしたちは信じていた。しかし安倍・菅政権は少し様子が違う。コロナ対策でも合理的とは言えないgotoトラベル政策とかを強行し、支持されているわけでもないオリンピックを強行しようとしている。このまま憲法「改正」にならないとも限らない。わたしたちと国家の関係が破綻すれば、悪である国家を倒すために命を投げ出すという尹青年のような生き方をも、身近に想像することができるようにならなければならないのかもしれない。

尹サンウォン、鋭敏な彼は何らかの形で韓国も、十年二十年後は日本のようになる可能性も感じていたかもしれない。「たとえ彼らの銃弾を受けて死んだとしても、それは、われわれが永遠に生きる道なのです。」かれは文字通りそれを信じようとしただろう。だが自分より若い青年たちの前でそう言い、死に駆り立ててしまうこと、それは大きな痛みなしにはできないことだった。

戒厳軍が道庁内部に入ってきたとき、彼は道庁民願室二階の会議室で旧式カービン銃を持っていた。彼は腹部を撃たれ倒れ、絶命した。

これが10日間の光州事件(光州蜂起)と尹サンウォンの物語である。
暴力や革命について論じたい人は、我々に近い国、近い時代のこのような例も確認しておいた方がよい。

追記:『ニムのための行進曲」の作曲者(キム・ジョンニュル)による歌唱
https://www.youtube.com/watch?v=2e3EbYgSsGg
光州事件の犠牲者で市民軍の指導者ユン・サンウォンと1978年に不慮の事故で亡くなった労働活動家パク・ギスンの追悼(霊魂結婚式)のために制作された、とwikipediaにある。
(以上)

〈現状態に対する本源的拒否〉の思想

黄晳暎(ファンソギョン)の小説を何冊か読んでかなり好きになったので、黄晳暎論でも読もうかと思って図書館を探すと、金明仁(キムミョンイン)という人の『闘争の詩学』副題が「民主化闘争の中の韓国文学」という本があったので借りて見た。第7章が黄晳暎論である。つまり軽い気持ちで借りたのだが意外と真剣に読み込まなければという気になってきた。

この本の後ろには14ページにも渡る「韓国民主化関連年表」が添付されている。批評家の本としては異例のことだという気がする。日本でも全共闘運動のころまでは、新日文、近代文学などなど、左派運動(政治)と関わりのあった文学運動はあったが、それ以後はむしろ政治的なものの一切をタブーとするかのような文学観に支配されているようだ。
それに対して、明仁は、こう語る。「私にとって文学は世の中を変える方法や道具の一つですが、1980年代の韓国文学はまさにそのようなものでした。*1

「私にとって文学は世の中を変える方法や道具の一つ」という言い方は反発を呼びそうだが、ゆるやかな意味ではそれほどおかしな意見ではない。
民族=国家が成立していないために、まずもってそれを追求することが、文学にとっても課題にならなければならない。そういうことは理解できることだ。1945年の光復以後は、まずネーションが模索された。それ以後も独裁の否定、民主化の達成は文学の課題でもあった。
「世の中と対抗することの美しさを示し、今とは異なる世の中をみちびく熱い啓示でぎっしり埋まった文学」こそが、もっとも美しい文学であり追求されるべき価値であるという、初心を明仁は数十年経っても捨てていないようだ。
それは時代遅れの文学観に感じられる。ただそれだけでは批判にはならない。

韓国では〈学生を中心とした激しい反政府活動(デモなど)による独裁の崩壊→(束の間の春)→軍事クーデター〉という波が、戦後史において三度起こった。
A 60.4.19→5.16 朴正煕独裁へ
B 79.10.26→80.8.27 全斗煥大統領へ
C 87.6.10→12.16 盧泰愚が大統領に選出される
(D 2016-2017.3月 ろうそく革命は勝利に終わった例外 )

C 87.6.29民主化宣言で長年の軍事独裁体制は崩壊した。しかし、明仁は「重要なのは労働者階級の動向だ」と考えていた。7,8月から切望された労働者大闘争が始まった。毎日のように民主労総結成闘争のニュースが聞こえてきた。しかしその本質は結局単に労働現場におけるもう一つの民主抗争にすぎず、労働法改正などで一定の権利を獲得するや、その生命力を減じていった。*2

そして、三度目は軍事クーデターではなく、大統領直接選挙による民主主義的な選出(平和的政権交代)で終わった。「1987年を契機に韓国社会は、軍部クーデターという後進国型政治変動との断絶に成功した*3」という点では画期的だった。

しかし、全斗煥の協力者であった盧泰愚の勝利に終わったという結果は、明仁にとって限りなく苦いものであった。
70年代後半以降の民主化運動の長い歴史、光州以後のそれでもつむがれた夢、「労働者階級が主人となる近代的国家」への夢、それは〈統一〉も含むものであり、全的な解放をなんらかの形で実現すべきものだった。その夢は裏切られた。選挙という民主的方法によって裏切られたことは、彼らにとって自分の思想を一部変更せざるをえないほどショックなことだった。
明仁たちは観念的過激化し、北朝鮮の主体革命理論か、速戦即決的なボルシェヴィズムに傾いた。死への傾斜をも孕んだものだったと言えるだろう。同時に、東欧社会主義国の崩壊があった。

韓国におけるB79年からC87年の経過は、日本の60年安保から68_9年大学紛争の経過に類似するようにも思う。
そうすると、明仁たちは「観念的過激化」は、70年代始めの赤軍派東アジア反日武装戦線の空気に似ている(だろう)。

「わたしたち」はすでに内的解体の危機をかかえていたので、運動は急速にしぼんでいった。明仁は「民衆的民族文学」という批評的準拠を持ち、基層民衆の文学的・文化的解放のための実践を模索していた。しかし常に観念が先んじて現実と交差しえなかった。(p45)
明仁にとって、文学・思想は政治的活動と一体のものであったから、挫折は全身的なものであっただろう。明仁は「運動」と関係を断ち、大学院にいわば亡命した。それぞれが生きる道を探しに出た。そして、共同体的な連帯や規律などを捨て、個人になることで、90年代の新しい社会へ入っていった。

このような「いわば亡命」の過程は、(全共闘体験からの)高橋源一郎加藤典洋笠井潔といった人々も経ているものだろう。明仁の場合が、今までの左翼性・全体への夢を捨てないという点で、またまずそのプロセスを明らかにしようとする誠実さという点で、もっとも分かりやすいかもしれない。

 

 1980年代には金明仁のような左派的文学が主流だったのだが、90年代には個人主義的文学の時代になった。「わたしたちは近代を生産するはつらつとしたブルジョア的個人を持つ機会*4」がなかった、と明仁は述べる。だから「1990年代以降の個人の発見、あるいは発現は、このような点から見れば「抑圧されたものの回帰*5」としての切迫性があると思う」と続く。
 「個人」とは何らかの抑圧的集団性からの脱出を意味するだろう。それは「抑圧的な軍事独裁体制と国家独占資本体制が作り出した「国民」という全体主義的集団性と、その全体主義に対して戦う過程で形成された「民衆」という集団性、その異質な二つからの脱出という契機をもったものであるはずだ。*6
 「しかし、国民であることは十分に克服されず、民衆であることは十分に実現されえなかったから」、「目覚めた主体としての個人」は成立しなかった。新自由主義的市場体制と言う支配のなかでの、孤立した労働者かつ消費者としての「単子」的存在となったにすぎなかった。 *7 孤立した労働者かつ消費者としての孤立した存在というのは日本でも同じですね。

 抑圧的な軍事独裁体制からの抑圧を考えるとき、日本では次のような例がある。1933年の小林多喜二の死。それから十年以上後の、1945年8月9日の戸坂潤と一ヶ月後9月26日の三木清の死。45.8.15は彼らを抑圧した軍国主義の終わりであることは明らかだった。三木は影響力のある作家だった。だのに誰もの彼を奪還しに来なかった。彼らと民衆との連絡はすでに途絶えていたのだ。三木たちは敗戦は予感できただろうから混乱後の日本に希望が持てたなら、なんとしても生き延びようとしたのではないか。彼らが死んだのはすでに絶望しか持っていなかったから、民主化後の日本に対しても、ということが言えるだろうか。そうは思いたくないが、戦後70年の民主化の敗北後の日本においては、そういう思いもある。

 70年代から87年までの独裁政権から民主派青年たちに対する弾圧は、日本の上記のような弾圧以上に激しいものであった。最大の虐殺は2万人近く(?)殺された1980年光州事件だった。これは限りなく痛ましい事件だ。しかしそれは民主化運動が学生やその周辺のインテリだけでなく多くの民衆を巻き込んだ巨大な運動になったからこそ可能になったのだとも言える。日本の60年安保もデモに参加した人数などでは負けてはいない、しかし死の危険性ある抵抗運動に果敢に立ち上がるといった点で、つまりその思想的深さにおいてかなり及ばないものだった。
 過激な運動ができるから偉いとかそういうことではないが、権力の暴力に向き合う腹の座り方については、やはり日本はまだまだと言うしかなかろう。2011年以降、反核など市民運動はそれなりに盛り上がったがやはり2,3年で下火になった。そこにも同じ弱さがあったと言えるだろう。
 「私は元気でない国の一知識人として、それよりもはるかに元気でなくなってしまった隣国のみなさんに、言葉にならない憐憫と連帯感を感じるようになりました。*8」金明仁は、日本人が怒るだろう「憐憫」ということばをあえて使って、連帯感を表明している。

 さてもう一つの問題、その全体主義に対して戦う過程で形成された「民衆」という集団性からの脱出という契機とは何だろう。
そこには一つには、大衆の反政府闘争の主体が、依然として学生や知識人、在野勢力中心の人々でしかなかったという問題がある。「労働者階級を含めた基層の民衆が、自らの利害関係を越える政治的覚醒*9」をなしうるかどうか、それが問題だと金明仁には思われた。AもBも労働者階級の組織的闘争につながらなかった、だから失敗した、と明仁マルクス主義者らしく考えていた。
 7,8月から切望された労働者大闘争が始まった。毎日のように民主労総結成闘争のニュースが聞こえてきた。しかしその本質は結局単に労働現場におけるもう一つの民主抗争にすぎず、労働法改正などで一定の権利を獲得するや、その生命力を減じていった。*10 資本家階級は労働者階級が革命的に転換することをギリギリ抑制させる程度の何かを労働者に与えることはできる。したがってほんとうの意識変化にはたどり着かない、これが金明仁の判断だった。

 「抵抗する集団性」をどう克服するか考えるときに避けられないもう一つの問題は、南北問題である。光復から朝鮮戦争の時期、民族を回復しようとする運動に参加していった人の圧倒的多数は左派系の人々だったので、彼らの多くは越北した。であるにも関わらず北の共和国はその人びとの思想と努力を活かすことができず、逆に国家首領独裁体制に対する異分子として抑圧され続けた。にも関わらず、南の絶対的反共国家のなかの抵抗者である民主派の人びとは北の実像を知ることもできず、心のどこかで本来の共和国の栄光という幻を保存し続けた。金明仁のこの本はそのような事情は良かれ悪しかれ全く書かれていない。*11



 新しい「市民運動」。「人権、女性、環境、教育、消費者、多様な形態の政府監視など、いわゆる非政府機構の運動や多様な形の市民キャンペーン運動」が生まれ、過去の「民族民主運動」に取って替わっていった。
 「この運動は1990年代序盤の「呪われた転換期」を過ごす間、私たちが陥っていた虚無と冷笑、無気力と精算主義を身軽に越えて、支配ブロックの一方的な独走に対する牽制体制を構築した」意義ある運動形態だったと評価しうる。

 これは、日本では2011以降のたとえば、シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動・SEALDs)などと同質なものであると理解できる。限定された主題に対する明確な獲得目標、優れたデザイン感覚によって大衆の支持を獲得する、自己組織内の意思決定過程の透明化など、民主主義的で平明な感覚は人気を呼んだ。本書などによれば、韓国では20年以上前から着実に育ってきているものだったようだ。
しかし、それは資本家階級の究極的支配とヘゲモニーに挑戦するという問題意識がない。階級運動ではない市民社会運動だ。革命運動ではなく改良運動だ。権力の獲得を目的としないという点で政治運動でもない、と金明仁は指摘する。

 ところで、80年代の運動が「権力獲得を目的にした革命的階級運動」だったか、というと実はそうも言い切れない。それは情緒的・観念的には過激だったが、本質上民主化運動に過ぎなかった。だから民主化を果たした後に、より「クール」な市民運動へと転換していくのは自然なことだった。*12しかし、その夢想のなかには強力な力があった。それは現状態に対する本源的拒否の力である。人間が人間を搾取して疎外する世の中の土台と上部構造全体を総体的に変革すべきだという、非妥協的な精神の力がその核心にはあった。1990年代以降の市民運動にはこのような力が欠けている。*13その場合市民運動と労働運動は、永遠にブルジョア支配社会の周辺部的な付属物であるにすぎない。

 新自由主義とは、「資本の運動を阻むすべての障害や境界を撤廃し、人間と地球に属するすべてのものを商品化し植民化し搾取*14」するシステムである。そして「無限開発と無限競争」という考え方だけが唯一の真実であると強力に宣伝することを伴う。日本では服従原理主義を内面化しないと、おおむねどんな仕事にもつけない。そのように、このようなすべてのことはほとんどまるで「世の中の法則」であるかのように受け入れられてしまっている。

 半分疑いながらもそうした宣伝を少しは受け入れざるをえないわたしたちにとっては、〈現状態に対する本源的拒否〉という思想はまったくありえないものとしてある。現代日本においてはもはやそれを見つけることすら難しい思想として、それはある。であるので、この文章を読んだ時、わたしはタブーを破ったような罪悪感とともに、びっくりしたのだ。

 それにしても、〈現状態に対する本源的拒否〉という思想を肯定しても良いものだろうか。わたしたちは現体制なかで生まれ育ち教育をされ、雇ってもらっているのであれば、そのような全体に対するNONというものは論理的にありえないのではないか。「人間が人間を搾取して疎外する世の中」自体を根底から変革することができるとマルクスは言った。それが正しいかどうかは私は分からない。それでも社会の分かりやすい不正や矛盾すら現体制は是正してくれない。そうだとすると現体制で通用する理屈を越えて正義をそこに要求していくことは正しいことだと思う。
 要求をすることは正しい。しかし、〈本源的拒否〉とはなにか。

 全世界に目を向けると、「反グローバリゼーション、下からのグローバリゼーション、反米運動、エコフェミニズム、マイノリティ運動、再解釈されるアナーキズムトロツキズムなど、「現状態」を越えるための世界的レベルの理論的・実践的努力」がさまざまに存在している。
 わたしたちはともすれば勘違いしてしまっているが〈現状態〉は決して一枚板の変えがたいものとして世界に君臨しているわけでない。学校、職場、知識その他さまざまな諸力のがまず、「私」自身を作りた、そうした多くの個人が動かしがたいかの秩序として現象する。さまざまな方角からそれを揺るがそうとすることはできる。

 この世の中は構造的に絶対多数の不幸と絶対少数の幸福を生産する世界だ。それが確かなら、私は世の中に同意できない。こんな世の中のために、あのように長年獄中で苦労してきたわけではない。と明仁は言う。
 そうではなく、覚醒した個人の主体性を堅持しながら、人と人の間、人とすべての生命の間の共同体的な連帯意識をふたたび回復することはできる。「人間も他の生きとし生ける物も、自らの生と他者の生の自由と解放を獲得するまで戦わなければならない。*15」と明仁は言う。

 この世界の外部はない。なぜならわたしたちは事実上、この犯罪的世界の共謀者だからである。と明仁は一旦言い切る。そして次に「しかしこの世界の外部はある。わたしたちは常に懐疑し省察して、他の世界を夢見る存在だからである*16」と彼はそちらの方を強調する。
「はてしなくこの世界の外部を思惟し、他の世界に思いを致さないかぎり、またこの世界を自分自身の内部から拒否しないかぎり、この世界は絶対によくならないからである。*17」と、明仁は最後に言い切る。

 私たちは「はてしなくこの世界の外部を思惟する」ことができる、これは認めることができる。それでは世間に通用しないよ、と言われるだろうか?反抗の根拠は別にどこかの条文とかそういうところに存在する必要はないのだ。〈幻のコミューン〉といったもののリアリティがそこにあるだけでもよい。自己身体の叫びといったものでも良い。
 〈現状態に対する本源的拒否〉は存在する。ただ、そこからすべてのものが流出する〈幻の党本部〉のごときものであってはならないだけだ。
(以上 6/13一部訂正)

*1:同書p8

*2:同書p41

*3:同書p25

*4:p47

*5:p47

*6:p47

*7:p48

*8:同書p7

*9:p38

*10:同書p41

*11:p228に、黄晳暎の『客人』について「分断克服という顕在的課題に対する一つの、歴史的であると同時に美学的回答」と書かれてあるだけだ。

*12:p50

*13:p50

*14:p51

*15:p54

*16:p55

*17:p55

雑誌文藝 特集 韓国・フェミニズム・日本

去年の秋に出た、雑誌文藝の特集「韓国・フェミニズム・日本」短編を少しだけ読んでみた。

韓国人作家の紹介だけでなく日本人作家と半々になっている。日本人作家には、日本人の韓国認識の歪み、不思議さの底部を問おうとする作品が多い。さすが文学者。

2つの短編をとりあげ断片的感想を書いておこう。悪文なので書き直せれば削除する。
西加奈子「韓国人の女の子」
「だからアメリカの傀儡政権だった韓国ではなく、朝鮮籍を選んだ。それはすなわち北朝鮮籍なのだけど」というのは、誤りであり、激しく糾弾される可能性がある言葉使いだ。西はそのような政治的葛藤とは別のレベルに、朝鮮戦争の傷などどこにもないはずのおしゃれな現代青少年の実存の底になお、(北)朝鮮/韓国/日本という亀裂が存在する(発見されることがある)ことを描いた。

 

高山羽根子「名前を忘れた人のこと」
韓国人かどうかはっきりしないあるアーティストが「私はtorture を受けたことがある」とふとつぶやいた。torture は拷問という意味らしい。1980年代くらいの時期であるなら(作中に表題が引かれているタクシー運転手や弁護人の時期なら)、その韓国軍事政権による拷問だろう。「たんに無知だったからだ。自分が彼の加害者である、あるいは加害者の集団に属している可能性をもったまま」云々というのは、まあ「考えすぎ」である。
無知:「表面上は無実に思える弱さと無知とわずかのやさしさ」で成り立っている「知らないでいようとすること」。政治的責任追求とは別のレベルで、かすかな文学的糾弾がなされる。
わたしのように、従軍慰安婦などに興味を持ち続けてきた人でも、光州事件(民衆抗争)以降の民主化運動からろうそく革命まで激動の歴史を深く知ろうとしてこなかった。それが何故だったのかはこれから問われる必要がある。全面的に嫌韓派に影響されたマスコミとネット情勢に抗するという課題とともに。

(いったん公開するが、さすがにこれは書き直そう)

 

 

 

コロナに乗じて不当な利益を得ようとする奴ら

コロナ騒動を、co2削減という面から見ると、グレタさんとかが必死で叫んだけれども、絶対に到達できなかった削減目標があっさり達成されていると言える。
安冨歩さんが彼の動画でおっしゃっていたことなのだが)

つまり現在の形での文明のスタイルが、資本主義、医療、文明の崩壊という形を取らなくても、大きく変わることが可能であることが示された。
つまり毎日毎日「学校に行かなければならない」「会社に行くなければならない」という常識と習癖にとらわれた人生を続ける必要はないということだ。

ではどうしたら良いか。一挙に社会は変わらない。学校や会社に行かないようにしても逆に困ることもあるかもしれない。ただ、例えば週1回くらい行かずに自宅研修します、といったことがどんどん起これば、そうしたことを許容する社会になっていくだろうし(それで十分やっていけることが分かったから)、そうしないといけない。
というのは、混乱期、情報の閉鎖を利用して自分たちだけが金儲けしようとする思想が、大きな顔をしているのだ。竹中平蔵経産省というものに象徴される勢力である。
それは具体的には、「サービスデザイン推進協議会」や「スーパーシティ構想」にあらわれている。

https://note.com/tokyodistillery/n/n6564a5ecf2a3

 以下
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/supercity/setsumei_naikakufu.pdf

上記ブログ記事に詳しいが、サービスデザイン推進協議会というのは電通パソナが設立したもので、持続化給付金の給付作業が委託されている。国から七百六十九億円の委託料が払われている。元公務員の感覚ではこのような生活に関わる給付の審査というこそ、公務員がやるべきことだと思うのだが違うのか。で、うまく行かず給付が遅れているようだ。
大利権を不正に私するために、むりやりわけの分からないシステムを作っているから、給付すら満足にできないのではないか。

マイナンバーカード関係のシステムが上手く行かないのも、同じ原因だろう。
そもそも、特別定額給付金事業に普及率が十数パーセントしかないマイナンバーカードをかませようという計画自体、合理性を欠いた案であり、マイナンバーカード推進やその他の別の思惑がある勢力が推進したものにすぎない。

マイナンバーカード関係なしに、シンプルに給付システムを作ろうとすれば、わりと容易にできるようだ。
加古川市の職員が作っている。
特別定額給付金にかかる加古川市版オンライン申請システム - データセット - 加古川市オープンデータAPI

 

これが簡単に実現できたのは、ある会社の業務アプリ開発プラットフォームと別の会社の申請フォームを利用したからだ。今の時代、他社ソフトウェアやオープンソース等を利用して、システムを迅速、安価に作って行くのは、IT業界の一部では当然のことである。
しかしながら、従来からの巨大SIなどはなんのかんの理屈をつけて無用な独自ソフトにして無駄に大金を取りたがるものなのか。私は業界のことは分からないがそういうことがあるんじゃないかと思う。

クールなシステム設計と利権の実現は相反する。日本の行政はむかしから指導すべき業界やいくつかの企業とほとんど癒着しながらやってきた。ただこの間、パソナ電通、ベネッセとかとの癒着関係は露骨になってきているようだ。

この20年間のIT革命に日本企業がどうしても乗り切れず、落ちこぼれていったのは、骨身をけずって大胆な勝負などしなくても、霞が関と癒着していればそれなりに利益は得られる構造になっていたからだろう。
逆に言えば、そのような不正なしには企業も存続できないのか。
そのあたりはよく分からない。しかし役所の仕事を民間委託する以上、合理的できれいなシステムをつくり、迅速に結果を出さなければならない。利益を過剰に貪ることもあってはならない。
持続化給付金配布事業委託については、その両方の項目で明確にダメだったと言えるのだろう。安倍首相の退陣を求める。