noteで、金原 甫さんが「吉本隆明の自閉症理解とその遡及」という文章を書いておられる。副題が「4・11問題(『恋崖』座談会事件)を振り返って」という。https://note.com/geldfeld28/n/n8435b7ba2af6
芹沢俊介と恋崖同人が座談会し、そこでの芹沢の発言内容の一部に松下が激怒した事件、と言ってもよいかもしれない。松下昇については、単に忘れられているのではなく、近づくと奇妙なタブーのような変な沈黙に包まれている。ように私には感じられるが、それは私が松下シンパ的立場に居るからかもしれない。
(1)この文章を読み始めると、まず上野千鶴子が出てくる。
あるパンフについて、自閉症児親の会から上野が批判された問題についてだ。
〈この著の自閉症児にまつわる記述が、当事者及びその親からしたらあまりに現実から剥離していること〉が問題にされた。
親の立場に立てば彼女たちの主張はとてもよく判ると言うべきかもしれない。
ただ実は、わたしはこういう抗議にはなるべく近づきたくない。ある断言が(その言葉使いが)日々何かで苦しんでいる人にとってありえないと感じられるのは、よくあることであり、その断言の不当をそれで決めるべきではないと思ってしまうのだ。
正しい思想を持たなければならない、という思想は正しさが予めあることを暗黙のうちに前提にしており、その前提は必ずしも正しくないと思う。(出版物として公にする以上、当事者たちへの配慮は必要なのかもしれない。それについて私は分からない。)
「自閉症」自閉症スペクトラム症 というものが、親の育て方で起る、はマチガイである、とのことである。なるほど。上野が対幻想論に非常に影響を受けている、とある。これについても検討はとばす。
吉本は『対幻想』で、この問題に触れている。
α:上野の説は、ルイセンコ学説みたいなもので、環境による過剰負荷論である。
β:親の会の人は、器質性障害論
γ:「入胎児期」の問題が歴然とあるんじゃないか 三木成夫の影響
と3つの理解の仕方があるとして、γを推すようだ。それに金原氏は批判的だ。
金原氏は親の会の感覚を自明としている。彼は自閉症者と長年支援員として関わっていると書かれており、そこからの判断は当然尊重に値する。ただ吉本の言説をときほぐし批判することはここではされていない。
(2)
さて、松下昇『恋崖』座談会事件(一般的に関係者間では4・11問題)に話が移る。関係者とは恋崖同人とその周辺ということだろうか?おそらく私と20年以上?の世代差のある金原氏がどのような関係性からこの問題を見ておられるのか、興味がある。
なお私は、松下昇の言行すべてに興味がある。しかし『恋崖』座談会事件については、同時代にそういう問題があったことは知っているが身近で論じあったことはない。(あえて近づかなかったのだろう。)
松下昇という巨大な思想家が、まったく隠れてしまっており、それを引き出すべき私がそれを果たせていないといった自己認識を、私は持っている。私が金原さんの文章を読んでいる動機は、その一端を金原氏が果たしたそのやり方を、私の立場から見極めたいということだ。
・「松下は(共産主義)を本気で志向した。その既存の社会的諸関係とは違うオルタナな諸関係を本気で構築しようとはしたものの、それは既存の諸関係よりも悪いものを齎しはしなかったか。」まあこれは一時期の北川からの批判の口真似でしかない。
「資本制の外部に生きるといっても実際には贈与経済に頼らざるを得ない。」これは何も言ってないに等しい文だろう。資本制といっても子どもや弱者、生活保護者などは贈与経済によって生きているわけである。とすればこの文章は、松下のごとき男性エリートはきちんと自分で稼ぐべきだ、という日本の通俗倫理を語っているだけだ、ということになる。
『恋崖』とは、自立派系の同人雑誌である(同人は、垣口朋久、岸本晴広、木村建一朗、高本茂、森口正博、森重春幸ら。創刊号は1980年5月。問題企画は第二号のためだったようだ)あまりきちんと読んだことがない。すいません。
ここらの経緯を記した資料:
a 高本茂『松下昇とキェルケゴール』(2010年)がある。私も持っている。
b 村尾建吉『「松下昇と芹沢俊介」の〈誤読〉のテーマが垣間見せた思想~表現的不能性 ―なぜ「4・11問題」は一幕上演で打ち切られたのか―』
c 「BIDS」2号 最初の座談会から13年後に、同人が再度芹沢を呼んで座談会している。
d あと、この座談会のテープ起こしした文章のコピーがある
未宇さん についての一言の言及もないまま、突然、「M:ただあの時の子供の亡くなりかたっていうのは母胎に対する影響だったと…」という文章が出てくる。これは未宇さんと松下に対して失礼な態度ではないか?野原に対しきみたちは未宇さんを聖化しているという批判がおそらくでてくると思うが、この部分を読んだ時はそう思った。
幼児であれなんであれ一人の個人である。それに敬意を払わずに、古雑誌を積んだその積み方の手付きについてだけ語るのはいかがなものか。
(3)座談会について
仮に頁数を付けると全体8頁、その4頁下の段から、その座談会の引用が始まる。
「M:ただあの時の子供の亡くなり方」という言葉が唐突にでてくる。
松下昇は、上がまやという女性、下が未宇という男性の子どもがいた。未宇さんは1975年4月に病気でなくなった。「言葉を発しないまま六歳で死んだ〈障害者〉松下未宇」 と松下昇は書いている。(http://kusabi1969.ever.jp/gainen/g09.pdf#page=54)
松下未宇がなぜ言及されるのか、その名前を松下が特別の存在であるかのように、秘教的に、扱ったからだと言えるだろう。(私が秘教的という言葉を使うことに対し批判される方もいるだろうが)
「M:ただあの時の子供の亡くなり方っていうのは母胎に対する影響だったと…」と突然引用される。
この金原さんの文章前半で、自閉症については「入胎児期」の問題が歴然とあるんじゃないか、と吉本が語ったと言われている。が、「M」氏はその(誕生から6年も経ってからの)「亡くなり方」について「母胎に対する影響だったと…」と言っていて、乱暴さが過剰になっていまっている。
「K:だからそれは母胎に影響があって生まれたときから言葉を発しなかったわけです。」
まあそういう意見もあってよいかもしれないが、ある具体的な子供について「影響」を確定的に言い切ってしまうのは、問題がある。現在では許されないとされるだろう。
「つまり闘争に踏み込むっていうことは、母胎に影響があるっていうところまでは、おそらくわかっていただろうし」松下の思想・行動が母胎に影響がある、この影響関係は自明だとSは語る。しかしそれは疑問だ。今年話題になった斎藤兵庫県知事を告発した渡瀬氏、あるいは数年前に話題になった公文書改ざんを強要された赤木俊夫氏はいずれも自殺した。彼らに仮に妊娠している妻がいれば母胎に影響があった可能性は十分ある(すくなくともSはそう考えるはず)。それを考え、闘争に踏み込むことを控えるべきだ、とするのは、日本的敗北主義の類にしかならない。「遂に松下昇っていうのは全然無知だった」とはならないだろう。
で問題は「思想の問題として松下さん、どこか空白があったんじゃないのか」というSの問いだろう。
で「学校を拒否する子供の内的メカニズムってのは、僕はやっぱりかなり悲惨だ」とSは感じたのだそうだ。小学校入学式に体調悪化で死亡した現象を、「学校を拒否する松下昇の思想」が未宇に体現されているからだ、と理解している。これは前述の母胎への影響論とはまた違った、むちゃくちゃな議論だ。松下は教育体制全体に対し強い批判的思想をもっていたが、この時未宇さんの小学校入学に否定的思想を持っていたという情報はないし、持っていなかったと考えるべきだ。(まやさんの小学校などへの通学にべつに否定的ではなかったことから考えて。)
「そこんところ、どうしてもずっとひっかかっているんですよ。(略)だから、松下さんをうまく読めないところなんですよね。」
未宇さん死去の1976年の以前も以後も、松下昇の思想・言動について大きな違和感をSは感じ続けていた。ただ、Sはそれを批評的文章にまとめることができず、いらだちがふくらみ、いわば八つ当たり的に、未宇の死への2つの乱暴な短評を発してしまった、ということだろうと思う。
松下さんの思想が学校(ブルジョワ資本主義の制度)を拒否した。それは恣意性をとことん認めていく思想とはかなり違う。そう理解することはできる。
しかし、大学〜学校制度というものがありそれを拒否したと語ることに松下は拒否感を持つだろう。大学闘争は多くの巨大なテーマ群を提起した。それを展開するためには眼前の社会総体を占拠し、かつはみ出しいかざるをえない。例えばそのように松下は語るだろう。
https://666999.info/from1969/keyword/%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e9%97%98%e4%ba%89 自己とその恣意性の尊重に積極的意味を見出そうとする思想とは反対といってよいかもしれない。しかし、吉本や芹沢は、対幻想〜生活の原基といったもの以外の余計な思想、あるいは気の利いた啓蒙思想や社民思想を拒否することが、革命に通じるみたいな思いがあったようなので、話がややこしくなったのだろう。
Mは二つのことを語っている。
☆高橋秀明が松下と一緒に未宇さんの墓に行った時、「未宇」のために書いているのだと言った。
未宇というのが秘教的語彙になっていると、Mは言いたいのだろう。
別稿には、「{未宇}の存在しない世界に存在を強いられていることが{私}たちすべての}実刑{ ”」という常識人には理解し難い「未宇」理解が松下にあったことを書いた。
☆「松下さんの場合だったら、出会った相手に必ず、お前俺と心中するかといった形で喰いいってきちゃう。」
たぶん、このM、K、高本という人たちは関係とその終わりをそういうふうに感じたのだろう。松下から提起があり、それに応えることも拒否することもできないダブルバインドを仕掛けられたみたいな。しかし、村尾と松下の関係も不幸なものだったろうが、こんなふうに簡単に終わったわけではない。私と同世代の北海道の根本さんの場合も。
芹沢の非公開発言が何年も後からも繰り返し想起されるのは、次のような経過をたどって文書化されたからだ
より深く対象化するため、この対談をテープ起こし、5部コピーした。外部には回覧しないと決めて。しかし、ある人物がそれを松下に渡してしまった。これが「座談会問題」の発端である。
これを読んだ松下は、芹沢発言のニュアンスや根拠についての質問を芹沢氏に届けろと、その同人に言ってきた。しかし「その文書は非公開のものであり、芹沢氏のあずかり知らぬものなので、芹沢氏の元へ届けることを断った。」
まあ政治家などでオフレコ発言が公開されることの是非、といったことはよく問題になる。芹沢は公人ではなく、私的な放言に過ぎなかったということなのか。そうなら、問題として何年も追求するのは、芹沢に関して過酷じゃないか、ということになる。しかし、恋崖同人は「一層対象化するため、この対談をテープ起こし、5部コピーした」わけだ。そこに、討論の素材とすべきだけの思想的価値があると判断したわけだ。であれば当事者である松下の討論参加希望を拒否するのはオカシイということになるのではないか。
「すでにそれは公的なものであり、責任を取るべきだ」というのが村尾の主張らしい。議論というものは公開的に行われるべきだ(例えば、障害者についての議論する時は必ず当事者である障害者をその議論に参加させるべきだ)というのが松下の中心的思想の一つである以上、そういった反応が起こるのは当然である。(ある人物とは私がよく知っていた山本聖氏であるようだ。)
「その後、このテープ起こしの原稿は松下氏によって〈自主ゼミ〉の資料となった。」
〈自主ゼミ〉は、すべてのものを資料〜討論の素材とすることによって、世界変革していくみたいな運動体だ(と書いておく)。つまり、著作権、既成文壇的秩序感覚を積極的に冒していこうとする方向性を持っていた。
ここで、時の楔通信4号の「評論家による処刑」(1981)が参照されている。
参考:http://kusabi1969.ever.jp/tokino2/t4.pdf#page=16
・同人誌「恋崖」と松下の関係。
「この同人たちは、その一人が山賊版「5月3日の会通信」を合冊製本〜回覧していることから判るように、大学闘争とくに松下の行動や表現に深い関心をもっていた。」
・「かれらなりに、大学闘争や松下を現情況の中で、ある確定した座標系におさめたいという願望をいだいた。」
松下は紳士的で上品な方である(収入がほとんどなかったにも関わらず)。しかし彼と深く付き合うには困難がある。彼の思想・言表は極めて独自のもので(異世界の住人のよう、と言っておいてもよい)、その磁場にとらわれその言語の口真似をするしかコミュニケーションできない、と感じられる。このように語ってしまうと、松下を完全に他者化した言い方になる。それは私の本意ではないのだが、外側から描写するならそういうことになる。M氏は「お前俺と心中するかといった形で」云々と言っていた。
そこで〈異世界〉ではないこちらの世界の思想家吉本や芹沢となんとか統合したい、という願望はほとんど必須のものになる。
芹沢は前記のとおり「生んだのは思想的無知」などの発言をした。
松下は 「芹沢にみられる表現の根拠への無責任さ、安易さ、情況や存在への無知という以上のある残酷さは記憶されてよい」と記している。
「とかく芹沢は、自ら検察官の論告や裁判官の判決以上の水準で大学闘争の未宇的生命を〈処刑〉していることに気付かないのか?」とも言う。六歳で死んでしまったわが子への思い(言葉は悪いが)それを利用して、松下は、“{未宇}の存在しない世界に存在を強いられていることが{私}たちすべての}実刑{ ”という歌を作り上げた。(別稿参照)
この現実にかさなる彼だけの〈異世界〉を言葉の力で作り上げたのだ。その異世界転生の鍵になるのが、未宇である。
(大学闘争の未宇的生命とは、大学闘争には未来に向かって変容し生成していく力を持つといったほどの意味であろう)。未宇の死は悲劇であることは否定できない。であるのに、松下昇の表現への違和感を原動力に、悲劇が在ったからにはその原因たる罪があるはずだといった論理で、と松下の思想の罪を言いつのるのは、論理性から逸脱したインネンのたぐいである。
「彼のお子さん、およびその名前はあるシンボルを担い、秘教的輝きを松下のなかで帯びている」と金原は語る。わたしの〈未宇〉論はまあこのフレーズを深く展開しようとしたものだとも言える。
「一九七三年の冒頭にかいた〈何ものかへのあいさつ〉の直後に生まれた私の子供が、胎内にいる時の母体に強い精神的=情況的影響をうけたことを大きな理由として、出生後も発育がおくれ、一つの言葉も口にしません。」
一九七三年ではなく1970年2月2日である未宇さんの誕生は。
参照:〈何ものかへのあいさつ〉:http://666999.info/matu/data/jokyo.html#aisatu
ところで、金原のこの一万字を超える文章の最後は、いささか予想外のものである。
松下と芹沢は、完全に共通したところがある、と彼は指摘する。「母が精神的な強いストレスがあることが、自閉症児を生んだことに直接影響がある」説を疑っていないことにおいて。そしてその説を迷信論議だと結論する。
母胎への強いストレス原因説を援護するつもりはない。ただ、松下は、別稿に書いた、1969年2月2日〈情況への発言〉、1970年1月3日〈何ものかへのあいさつ〉この二つの文章によって彼は大学人から別の人生に踏み出した。「この実現の第一歩が、大衆的に確認されるまで、〈私〉は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、しけん等)を放棄する。」と書いて。彼は〈労働放棄しても生きられる異世界〉に踏み入ろうとする。丁度その時(2/2)に未宇さんが死ぬ。松下はサバイバーズギルトを感じ、{未宇}の存在しない世界に存在を強いられていることが{私}の}実刑{ ”という}歌を、常に感じながら生きた。そしてたまたま大学から追放されたという(たかだか政治的な追放に過ぎなかったかもしれないものを)〈異世界〉への追放と思想的に深化し、松下昇個人ではなくすべての人と共有できるビジョンに深めようとした。
母胎への強いストレス原因説を取ったのは、上記の二つの文書と未宇の死の深いつながりを記述するのに適した説だったからに過ぎない。
未宇(あるいはμ、みう)という言葉は秘教的輝きを松下のなかで帯びている、それは確かなことだ。それはまったく思想の用語ではないのに、決定的に重要だ。しかしそれがどういうことなのか、いままで私は論じることができなかった。未宇が〈異世界〉との蝶番なら、他ならぬ私がその蝶番のどの場所に存在するのかという問いに答えることができなかったからだ。金原氏の文章によって、私はすこし外側に立ち、この問題を解読しようとすることができた。金原氏に感謝したい。
わたしが乱暴にも(あるいは異世界転生ブームにのって軽薄にも)〈異世界〉とよんだその松下の言表世界は決して無意味でも過酷なばかりでも不条理でもなく、こちらの世界に生きる人にも役立つことがある、意味があるということを、次は書きたい。
松下未宇について、は別稿とし この後に添付する。
2024.11.26