松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

チベット語教育について

前回もお世話になった中原一博さんの書かれた「太陽を取り戻すために-- チベット焼身抗議」から引用させていただく。

チベット語とその方言を使う人々はチベット高原全域とヒマラヤ南麓を中心に約1200万人いると言われている。かつてはこの地域だけでなく、モンゴルや現ロシア連邦内のカルミック共和国、トゥバ共和国ブリヤート共和国を含める地域の高等教育言語であった。しかし、60年間に渡る中国支配の下でチベット語は組織的に消し去られようとしている。p36

中国の現在の政策がチベット語を組織的に消滅させようとする悪意あるものである、のかどうか、は思想の問題ではなく現状認識の問題である。

またp37には、「陳奎元は1994年11月26日、第5回チベット自治区教育会議におけるスピーチの中で、自治区における教育は思想的目的を達成するものであるべきだとし」た、とある。これはチベット語チベット文化の否定を志向するものである。

また、多くのチベット人中学生が中国本土に送られ、本土の各地からチベットへ教師が送り込まれた。しかし、これらの送り込まれた中国人教師たちはチベット語を全く解さず、また、地方出身者が多かったので標準中国語も話すことができなかった。
 「2007年の統計によれば、チベット人居住区の平均教育年数は4年以下である。」(P37-38)

チベット語だけでなく漢語の教育すらろくに与えていないことになる。


もちろん言語教育は一例にすぎない。祖先以来の生業である牧畜を否定され移住・定住を強いられる。大人になっても働き口がない。あっても一生漢族の下の身分に甘んじるしかない。このような状況の持続において、チベット人のうちのある人々は絶望感を結晶させていったのであろう。それは焼身抗議として爆発することもあった。

が、それはともかく仏教教育ってのは時代錯誤でしょう。ていうか、かりにチベットが高度な自治権を獲得したとしたら、そんな教育はできないでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a39b37f789b69f015019ee9fed0a4466

このような状況におかれたチベット人に対して、McCreary氏は何を考えているのか、「仏教教育ってのは時代錯誤だ」なんてことをのたまう。チベット人チベット語を学ぶ権利を奪われているとしても、あなたは抗議する意思がないのか?
シモツカレ氏同様「だってチベットなんか日本人に関係ないし」と言うのなら、黙っていてください。お願いします。

プンツォク・ワンギャルについて

何も知らないのでウィキペディアを読んでみた。McCreary、シモツカレ両氏が、中国共産党翼賛ではなく、単に反ダライ・ラマであるなら好きにしてくれたら良いですよ。私は特に反論する意志もありません。
600万チベット人民が、何十年も抑圧されきっており、今後にも希望を抱けない状態である。その原因は中国共産党のかの国の憲法にも反するような、極端な反チベット政策にある。私はそう主張しているだけです。

McCreary氏から応答がない。 について

McCreary氏の元の文章は、わが身を焼身して何かを国際社会に訴えたチベット人たちに対する応答という立場を、McCreary氏の意志如何に関わらず孕んでしまった、そういう文章として読んだ。私は。
その場合、悲惨で過激な訴えに、自分なりの立場で誠実に答えるべきだと、私には思える

その他

「「過度の仏教信仰やダライラマ崇拝で近代化が遅れた」→「中国支配」なんてMcCrearyさんの文章の流れ」*1、おやおや、そんな理解はできませんよ。


つうかあなたも以前はそう理解して「近代化しなかったら中国が支配していいのか!」とか。」そんなことは言っていない。
とにかく、個人名と政党名を区別しない自分のミスを認められないシモツカレ氏とは論争できませんね。


「あとMcCrearyさんは自殺は無意味だからやめた方がいい」、自己の存在を掛けた行為に対して、懐手でそう放言できる感受性の人は、ブロガーを止めた方がよい。

植民地なんて言葉

チベット独立論に立たない限り植民地なんて言葉は使うべきではない(シモツカレ)
ふむ。言葉使いについてはここでは争わない。チベット民族というものは存在する。それに対して一定の自治、言語・文化の尊重を約束しながら、それをほとんど剥奪している。そうであるという現状を認めるかどうか、が論点である。

連鎖自殺

連鎖自殺が起こるとは「チベットでは自殺が異常に美化されてるのではないか」「自殺しなければ行けないという間違った同調圧力、強迫観念があるのではないか」という危惧はid:noharra先生にはないようです。中国の支配の是非に関係なく連鎖自殺なんか人として止めるべきでしょうに。
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20130709/7643098721

2点目も上に書いたように私は全否定する。ただの俗物が自分の死生観を押し付けることができるとはおぞましい神経だ。
一点目。チベット人としていきることができないまでの文化的、政治的、経済的な圧迫という私の判断について賛否を言わずに、話をそらしてしまう。これが「支配」への迎合以外の何だと言うのだ。