松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

伝統に則った先祖に血を捧げる儀式

シモツカレ氏のブログは、読まないことにしているが、ちょっと覗いてみた。
少し面白い文もある。

セデックバレの成功のおかげで、台湾では先住民が自分たちの出自を誇るようになって、子供の手を引いて民族衣装をきて映画館にくるという。彼らにとって蜂起は伝統に則った先祖に血を捧げる儀式。殺人ではない。(石濱裕美子)http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20130310

義和団とは(略)、教会を破壊し、キリスト教徒とみれば外人・中国人の見境なしに虐殺していった事件である。(同)

どちらも「抗日運動」「殺人行為」なのに、という、つっこみどころは面白いのに、シモツカレ氏の場合は、評価が違うのは「反中国&台湾万歳」のせいだろう、という1bit脳評。
例えば太平天国東学党に比べると義和団は極端に評価が低いように感じるが、ナショナリズムや近代化の萌芽といった評価点が後者ではほとんどないからなのかしら。
人を殺したら、殺人。しかし石濱が言っているのは、伝統に則った先祖に血を捧げる儀式という共同幻想が現に生きられている事、その場合世俗的な概念である「殺人」とは別の行為が行われたと理解すべきだということだ。

チベットなんか日本人に関係ない

日本のメディアがチベット人の命をかけた抗議の自殺の連鎖に無関心である方がよほど見識が問われている。

だってチベットなんか日本人に関係ないし。
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20130310/5643098721

何十ページもダライラマや石濱の批判を連載しながら、シモツカレ氏はこう言い放つ。
チベット人の死なんか日本人に関係ない。ダライラマや石濱を批判するのは、単に自分の思想に合わないから。
中国人の死なんか日本人に関係ない、単に、「大東亜戦争の反省」という自分の思想のトピックに役立つからチェックしているだけ。というのがシモツカレ氏の態度なのだろう。