松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

チベットにおいて抑圧は強く持続しつづけた

他の国の人々が、チベット人が自由のために焼身しているということを正しく評価せず、当たり前のように捕らえていることに対し、非常な悲しみを覚える。

チベット人が自由のために焼身しているということを、残念ながら他の国の人々の多くはうまく理解できない。

(1)まず何十年も前からの抑圧と収奪がある。

 まずツェリンさん。8歳から2年間学校に通ったが中断。中国人がひどい重税を押し付けてくるので子供すら働かないといけなくなった、そのためだ。中国人は子羊が生まれるとむりやり殺させる。チベット人に余裕を与えると、反抗する気持ちを持つかもしれない、それを恐れて。「たくさんの人々が絶望し、自殺する人がつぎつぎと出ました。」食料の配給は少なく「私たちはいつもお腹をすかしていた」*1


1959年からチベットでは「民主改革」が実施された。「貧しい人民」が高く評価される一方、地主、土地の管理人や長、僧侶の長といったかっての上流階級は階級の敵として誹謗、迫害された。*2
税金に似た義務は、二つあった。国に対して穀類を寄付させられる「愛国公糧」と政府規定化価格で国に売却を強制される「購糧」。
最初その徴収は穏当なものだった。しかし大躍進の時代、「担当の幹部らが「社会主義の進歩」を演出し、自身の業績記録を伸ばすために総収穫量を過剰に報告した。それにより収奪率が増大、1968年ごろから人為的な食糧不足が起こり始める。・・・*3


(続く)

*1:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120320#p1

*2:1959年以前、貴族や僧院の農奴世帯は、その主人のため、毎日少なくとも一人、そして収穫時期にはさらに多くの人を無休労働に送り出していた。そうした拘束の撤廃は、人々に歓迎された。同書p111

*3:p110〜112 『チベット文化大革命 神懸かり尼僧の「造反有理」』風響社 より要約