松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

王力雄氏の「チベット独立へのロードマップ」

チベット独立へのロードマップ」*1とこの文章は題されている。
roadmapを英和辞典で引くと道路地図としかでてこない。しかしグーグルでは「ロードマップ(Roadmap 行程表)とは、プロジェクトマネジメントにおいて、用いられる思考ツールの一つである。具体的な達成目標を掲げた上で、目標達成の上でやらねばならないこと、困難なことを列挙し、優先順位を付けた上で達成までの大まかなスケジュールの全体像を、時系列で表現した書物、といった説明がある(ウィキペディア)。


「独立」というのは非常に情動喚起性の高いマジックワードである。つまりものごとを子細に分析することを無用と見なしただひとつの独立という目的のためにすべてを投げ出すことが当然とされてしまう。そのような位相では文章というのはいくら長くても、アジテーションつまり扇動でしかない。王力雄は独立をむしろ不可避の「目的」と結論つけている、この文章で、と読むことができるかもしれない。
しかし王力雄は扇動とはもっとも遠いやり方、つまりロードマップを用いる思考法でやり遂げようとしている。おそらく王力雄は「プロジェクトマネジメントにおいて用いられる思考ツール」について勉強しそれに忠実に考えようとしている、私たちが想像するよりもっと。

プロジェクトマネジメントにおいては目的自体は与えられたものであり疑われることはない。しかしこの文章においては違う。「独立」はむしろ絶対的なタブーである。ただ思考実験においてはそれも一つのピースとして考えにいれざるをえない。ところがそうすると、すべてがそこに向けて流れていくと、もっともまっとうな思考の手順によって考えていくとそれしか結論がない、ことが示されてしまう。このような結論は王力雄の欲するものではない。そうならないために、中国当局はいますぐ姿勢を変えるべきなのだ。それができないとすれば、こうなるとしか考えられないと王力雄は告げる。


冒頭に奇妙に思われる長いリストを王力雄は掲げる。省と部のクラスでチベットに関連する部門は13部門、また「反分裂」の機能を担っている部門は11部門として、チベット自治区を先頭にお役所の名前がずらずらと24も列挙される。2008.3.14の日付で呼ばれるチベット事件の処理において、「それらは一つの同盟となり、処理の全過程を主導した。*2毛沢東訒小平の時代には権力トップが決定し官僚集団はそれを執行するだけだったが、2008年の場合は官僚集団が自分たちで処理したのだ、と王力雄は言う。
権力トップは文章で命令する事で政治を動かすので観察しやすいが、官僚集団は無言のうちに処理するので観察し論評することが困難である。しかし私たちに与えられたものはこの64頁の文章だけであり、その説明が納得がいくものであるなら、「官僚集団」というものを一つのプレイヤーとして主体として認めることにしてもいいだろう。

さて、ラサの「三・一四」事件のような街頭での抗議行動や暴力事件は、実際、中国国内では珍しいことではない。確かに、内地における事件処理の方法もかなりひどいが、それでも、仮に「三・一四」事件に対して、内地と同じ方法--情報を封鎖し、大きな事件を小さくし、矛盾を激化させず、鎮圧しつつ慰撫し、下級官僚からスケープゴードを引き出して民衆の憤激を鎮めるなど--をとったならば、その後、事件が連鎖反応してチベット地域全体に波及することはなかったであろう。しかし、チベット問題に対して、官僚たちはこのような「平常心」を持てなかった。

中国当局による厳重な情報統制によりその真実が確定できなくなっている「ラサ三・一四」をきっかけにした事件は、結局のところこのようなものだったにすぎない、と王力雄は書く。


当局は「現在はチベットの歴史において最もすばらしい時期である」と繰り返してきた。にもかかわらず事件が起きた。このおおきな矛盾を解決する一番簡単な方法は動乱がなかったことにすることだ。あるいは民衆の不満による動乱ではなく、「ダライ集団による組織的計画的行為だ」と本質をまったくすり替えてしまうことだ。

例えば、三月一四日、ラサで騒動が起きたがその地域では数時間も事態が放置されるという状況であった。周囲には軍隊と警察が集結していたが、進入も行動もせずに、暴力行為がエスカレートするままに放置した。
 多くの人々がこの奇怪な現象に困惑した。*3

「公安庁の入口の前に十数人の警官がいたのに、ただ成り行きを見ているだけだった。ところが、大通りを一つ隔てただけで、プゥパ風の者たちが破壊したり、放火していたんだ。*4」とWDが証言していた「不思議」についてだ。

それをどう理解するか?

私が比較的注目するものは、この放置は鎮圧のための理由を「醸成」し、また「プロパガンダ攻勢」に使うためのビデオ映像を集めるためという解釈である。一方で撮影隊を組織し、騒動の起きている地点に入って撮影させる時間が必要であり、もう一方で抑制されない暴力がエスカレートし続ければ、鎮圧に十分な合法性を与えることができ、しかも強烈な映像の証拠を撮影することもできる。*5

暴徒を「いかにも凶悪な暴徒」として撮影する事は、秩序派の利益になる。したがってそのためには、放置して時間を与える、といった事がなされた可能性は充分ある。
現在でも日本語ウィキペディア「2008年のチベット騒乱」からも「参照動画:CCTVが配信した暴徒の映像」がリンクされており、初めて関心を持った人にも影響を与えている。

民族対立は、国家が分裂する時の今般的な原因である。ところが、本来なら何よりもまず分裂を避けるべき「反分裂」を職責とする官僚集団は、むしろ今回のチベット事件を利用し、進んで分裂を作り出した。官僚たちはそれがもたらす結果を知らなかったのではなく、十分に理解したうえで民族対立を利用した。このような結果が必要だったからである。中国のマジョリティである民族--漢人民族的感情を扇動し、敵への憎しみによって団結する社会的雰囲気を形成すれば、官僚たちは背後に隠れ、民意における疑問や追及を避けられるだけでなく、沸騰する民意を借りて権力トップを自分たちの軌道に引き入れることもできる。*6

官僚集団は本来公僕つまり住民の福祉を第一に考えるべきであるが、現在の中国にそうした思想はない。不祥事が起こったときにそれをむしろ拡大する事によって問題の性質を変えてしまい、みずからの責任追及を免れることができる、そうした理由により「分裂」は拡大させられたのだ、と王力雄は言う。


「一方的に資料を取捨選択し、理由を検討せず、現象を誇張し、事件を一面的にチベット人漢人に対する理由のない怨恨殺人と表現する*7」そうした報道が全中国、全チベットにばらまかれた。そのことの影響は大きかった。「チベット人への排斥ムードが中国社会に充満した。」チベット人は至る所で差別された。
印象的な例がある。

事件の後、北京オリンピックが開催されたが、(略)、以前は「中国ガンバレ」と応援していたチベット人の子どもが、中国が金メダルを逃すたびに歓声を上げるように変わった

チベット人の子どもたちは、素直に自然に与えられた幻想の共同体「中国」を信じていたのに、それは崩壊してしまった。これは取り返しがつかないことだ。

チベット独立の条件はかなりそろっていた。…単一民族、単一の宗教と文化、地理的に明確な境界、歴史的に明白な位置づけ、国際社会における高い知名度、衆望の帰する指導者、長期に活動してきた政府(ダラムサラの亡命政府)……しかし最も重要な条件が整っていなかった。即ち、チベット人の主体たる国内のチベット人に独立を追求するべだけの十分な原動力がなかった。*8

ところが今回それが与えられてしまった。


ところでチベットの伝統的な民謡で次のように僧侶を歌ったものがあるそうだ。

立ち上がれば一本の線香、倒れても一本の線香、私の頭をつかんでも髪の毛だけ、私のお尻に触ってもぼろ布だけ*9

日本の僧侶と違い、すでに失うものを何ももってない、そしてそのことを自然に受け止めている僧侶のあり方を歌っている。*10

官僚たちはみな頭がいい。官僚たちは自分の行為が全体にとって不利だということを知らないわけではない。それでもあのような行動をとったのは、官僚たちの目的が事態をうまく処理することではなく、自分たちがその中から利益を得ることだからである。(略)国家に危険を及ぼすことになるかどうかなど、個人個人として考えることではなく、また責任を負わせることでもないため、心配する必要などない。*11

上に書いた僧侶のイメージと官僚のイメージがなんと対照的なことだろう。人間なんてみんなそんなもんさ、と皆言いたがるがかならずしもそうではない。〈立ち上がれば一本の線香〉といった生き方を実践してしまう人も(すくなくともチベットでは)少なからずいるのだ。*12


「反分裂」官僚集団は、チベット問題を解決できない。むしろ悪化させてしまう。ということは「最終的にチベットは独立を求める方向へと押しやられていく。」しかし独立など不可能だろうという声に、王力雄は東チモールコソボの例を上げる。その二者はチベットよりかなり小さく力も知名度もなかったにも関わらず独立した。


西側諸国の承認、助力を得て、チベットが独立を達成する可能性はある、と王力雄は詳細に論じる。

もしいつか中国がチベットを失うとすれば、原因は民主ではなく独裁である

と、最後に王力雄は書き付ける。
ただ、「反分裂」官僚集団の省益優先で無責任な姿勢の合成が、チベット人民を限りなく苦しめ続けているのだとすると、日本のような民主主義国でもそれに類似する事例はありうるということになる。

*1:p297〜358 劉燕子編訳 ツェリン・オーセル王力雄『チベットの秘密』集広舎 またhttp://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ef1cc767204f12eabb9cbd727d91548 以下にも全文翻訳がある。

*2:p300

*3:p304

*4:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20121224#p1

*5:p304

*6:p306

*7:p307

*8:p309

*9:p315

*10:この文章は、2008年に書かれたものなので、現在百人を越えた連続焼身自殺者のことは触れていない。立ち上がれば一本の線香、倒れても一本の線香、を今読むとそのことを想起せざるをえない。

*11:p322

*12:焼身自殺者たちをみれば分かる。