松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

傲慢であること

結城先生の言葉として次のものも転記しておきたい。

また、活動するにあたって、自分たちの傲慢な思いで動くのではなく、いつも
主からの導きを得て、祈りつつ進むことができますように。
http://www.hyuki.com/pray/pr014.html

<主からの導き>は必要である。無神論者野原は当然そう考える。


ヘーゲルの「正- 反- 合」という図式がある。傲慢を避けようとすれば、「合」という立場に立つしかない。しかしそれは、実に最も傲慢な立場を獲得することにつながる、と批判される。*1しかし、それは言葉遊びにすぎず現在の支配者を助けるだけである。
「正」を相対化しようとすれば、論理的には「合」を持ってくるしかないだろう。それと常にやってくる傲慢は警戒すべきである。祈ることを真剣に考えてみるべきだ、と私は思う。

*1:現代日本ではその批判が支配している。ボードリヤールなどの反ヘーゲル派もそう言う。