松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ツェリン・オーセルと「雪の花蕊(かずい)」

 劉燕子編訳の『チベットの秘密』は、ツェリン・オーセルが語るチベット情報とチベットについての詩が大きな部分だが、それ以外に前回取り上げた王力雄氏の「チベット独立へのロードマップ」という論文も無視できない。そして編訳者である劉燕子氏によるツェリン・オーセル論「雪の花蕊」もまた独立した価値を持つ文章だ。この本は三者が絶妙のバランスで支え合った優れた本だと思う。

「雪の花蕊」によってツェリン・オーセルのことを考えてみよう。


 ツェリン・オーセルは、文化大革命が始まった1966年にラサで生まれた。中国名程文薩(チョンウェンサ)。母はチベット人、父は漢民族チベット人の血を引く軍人だった。オーセルは西南民族学園で中国語・中国文学を専攻、編集者となった。しかし2003年出版したエッセイ集『西蔵筆記』は政治的錯誤があるとして発禁になり、彼女自身も解職される。しかしそれでも彼女はチベットの真実を追求することを止めず、当局の抑圧にめげず活動を続けている。


チベットとは何か?それは容易な問いではない。日本人にとってチベットは契機がなければ関わる必要がない外国に過ぎない。したがってある限定された問題意識において対象としてのチベットを捉えることができる。
ツェリン・オーセルにとってそれは、私とは何かと重なってくる困難な問いであった。

人間の心理と言語は密接に関連している。オーセルがチベット語に親しんだのはチベット人の乳母との間だけで(四歳まで)、家庭で使う言葉、また小学校からの学校教育における言語はすべて漢語(中国語)だけであった。つまりオーセルは誕生して言葉を学び始めた時に早くも言語の分裂を体験したのである。両親は家庭でも四川方言のなまりが強い標準語(北京官話)を使い、チベット語は二人の間の「耳打ち」で使われる程度であった。*1

植民地人であることは十全な言語体験を奪われることである。日本人はすべての学問について日本語で書かれた専門書や翻訳書を充分持ち、また古事記源氏物語をはじめ豊かな独自の文化伝統を持つ。オーセルの場合は、母語の体験も不十分であり学校での教育も小学校以来つまり一切与えられなかった。家庭が夫婦の自由な自然さの場であるというのは幻想である。植民地支配というものはどの言語が正しいのかという支配であり、エリート家庭においては選択の自由はない。


西南民族学園という学園で学ぶ事になるがその学園では名前に反し各民族の歴史、地理、文学、民俗など全く教えることがなかった。与えられたものはクラスの大半を占める漢人の同級生からの差別視だった。彼女はその差別に自分が得た唯一の文化資本で対抗する。彼女は抗議を漢詩(中国語の現代詩)に作り黒板に記す。

軽蔑という汚水を君の若い瞳から流さないで
バター茶とツァンパ*2の味のしるしが私の心に深く焼きついている
私は決して意気沮喪しません
そして、君の冷淡に蔑む一瞥を拒絶します。(後略)*3

 この詩に対し、同級生は「チベット人でありながら中国語で現代詩が書けるなんて、たいしたもんですねえ。文明社会へと一歩前進したわけだ」と感嘆してみせる。もちろんこの感嘆は真実のものではない。中国文化こそが文明であるという価値観において、チベット人である彼女はたとえ優れた詩を書こうと、アプリオリ漢人より存在論的に劣位に置かれ続ける。同級生の感嘆という形をとった嘲笑はそのことの確認である。
しかし、この出来事を彼女は原体験として捉え、そこから世界を再編成していった、と考えうるのではないか。


チベット人として差別されながら、自らチベット人としてのアイデンティティを持てないオーセルは悩み続ける。
オーセルの父は奇妙な人生訓を語る。「二本の足で人生を歩き通す」事、それはどういうことかというと「泥沼の間の二筋の道を、左足は個人の意志を持って歩き、右足は漢人政府が期待するように歩くというもの*4」だった。それが可能であろうと不可能であろうと、オーセル自身も、そうした矛盾を生き抜いていくしかないことは自明であっただろう。


さて、ある特定の権力による「呼びかけ」によって、主体化=服従化する内面が形成される、それが主体だとジュディス・バトラーは(フーコーとともに)考える。*5
画一化された「主体」を形成するための装置が初等教育である。中華人民共和国によるそれを、劉燕子は次のように回想している。

私は子どもの頃、「チベット人農奴制から解放してくれた毛主席に感謝」という、中国では広く知られた歌を聴きながら育った。またチベットの娘が解放軍兵士の軍服を洗濯してあげる情景を歌った「洗濯の歌」(略)…と歌いながら踊った経験もある。*6

漢人の子どもにとって、チベットは付随的なおまけのような存在にすぎない。しかしそれでも上のようにきちんとその位置づけは教えられる。幼いオーセルのようなチベット人幼児対してもにおいても、軍がチベットを解放してくれたという物語が押し付けられるのか、というとかならずしもそういう必要はない。唐詩、宋詩などを権威とする教育は毛沢東の権威に立脚しており、それは軍がチベットを解放してくれたという物語とも一体のものであるわけだ。それを受け入れることによって、「主体」が形成される。バトラーの主体論をオーセルに適応するとそういうことになる。

しかし、オーセルは詩人として「バター茶とツァンパの味のしるし」を忘れる事はなかった。その契機を拡大していくことにより、オーセルは深い葛藤に巻き込まれる。

1990年、わが家が20年も離れたラサに帰ると、すっかり「漢化」された自分は故郷では異郷人であることに気づかされ、痛いほどの喪失感や深い孤独感に苛まれ、葛藤に苦しみました。私の故郷、私の母語、私の記憶、私のライフスタイル、私の名前、私の民族的な出自、すべてが置き換えられ、ちぐはぐにされてしまいました。こうして一生、チベット人漢人との間でどちらにもなれず、荒涼たる周縁という隘路を彷徨し続けなければならないのでしょうか?*7

ラサでは言語だけでなく名前、故郷、記憶、生活習慣、価値観など生き方に関わることが全面的に「置き換え」られた、とオーセルは言う。彼女は「私は唐詩、宋詩を熟読し、よく知っているが、ミラレーパ(1052〜1135年。カギュ派の創設者の一人で詩人)の詩については無知でした。秦の始皇帝万里の長城は詳しく知っているが、ポタラ宮に凝縮されるチベットの歴史はほとんど知りませんでした。雷峰などの革命烈士をよく知っているが、1959年の侵略に抵抗したプゥパの勇者は知りませんでした」と述懐している。*8

 社会、国家の正規メンバーとしての自覚と自信(アイデンティティ)を持ちそれによって発言していくというのが、近代的な期待された主体のあり方である。それでは「もし私たちが、言わば最初から分裂を被り、基礎づけを失い、あるいは一貫性を欠いた存在だとすれば、個人的あるいは社会的責任の概念を基礎づけることは不可能なのだろうか。*9
そんなことはないだろう。バトラーの指摘するのはむしろ逆の可能性である。


「主体がその最も重要な倫理的絆の幾らかを招き寄せ、支えるのは、まさしく主体の自分自身に対する不透明性によってなのである。*10
チベット人たちはお互いに自由に語り合う中で思想を育てていくことができない。それだけでなくオーセルはチベット語を自由に話せない。そのような欠落をマイナスとして見るのはなく、むしろ普遍的な逆転の契機を孕んだ状態として見る可能性をバトラーは教えてくれる。

バトラーが想定している事態に対して、オーセルの情況はもっと悲劇的であり、不透明性が分厚い泥のように情況総体を被っており、オーセルは一本のストローで辛うじて息をしているといった有様、といった感じだ。
漢民族中心主義に抗するために、チベット原理主義になってしまうのではなく、不透明性それ自体に立脚した苦しい闘いという可能性がある。それでもバトラーを引用したのは、そうしたことを示したかったからである。
オーセルだってもっと素直なチベット独立論者になりたかったかもしれない。主体が自らの欠損を自覚し、それを埋めようと国粋主義者になっていく、そうしたことはよくあることだ。彼女もそのような指向はもったかもしれない。しかしチベットの情況はあまりにも悪く、チベット文化やチベット独立の是非を論じ合う仲間の形成とかそうしたことは、オーセルにとって全く不可能であった。


にも関わらず、オーセルはチベットを指向しつづける。ここで彼女のチベットへの指向は、ある形而上学的ニュアンスを帯びてくる。

今でも、私はチベットについて表現しきれません。表現するのが苦手だからではなく、どのように表現したらよいのか全く分からないのです。いかなる文法も存在していません。いかなるセンテンスも繋がっていません。いかなる語彙も、今日のような現実を前にすると、無意味になり、すごすご遠くに逃げます。文章記号はたった3つしか残っていません。疑問符、感嘆符、省略符*11だけです。*12

チベット人からチベット文化が奪われている。文化は目に見えないものだ。したがって漢人チベット文化を奪っているかどうか自ら判断できず、ただ政治的不服従の兆候、危険性に対してだけ反応しているつもりであろう。しかし宗教的、形而上学的世界にも生きているチベット人にとってかけがえのないものを、漢人の支配がなにげなく奪ってしまう。このような支配のなかでチベット人たちは自己存在の見えない部分に著しい傷を負いつづけた。


存在論的な喪失をこうむった、と言っていいだろう。
ここで、ハイデガーの断片を二つ引用してみよう。

 休けき故郷に有らざることとは、故郷のものからの単なる離脱ではなく、むしろ逆に時として自身知らずして故郷のものを探し求め、探し出そうとしていることなのである。この探索は如何なる危険をも冒険をも厭わない。至る所彼方へと、それはわたりゆき、至る所遠き彼方において途上にあるのである。(『ヘルダーリンの讃歌「イスター」』より)


 詩人は故郷に真に住まいうるために異郷へとさまよい出なかればならず、(略)ちょうどそのように、根源の存在は、存在忘却の迷誤の運命を遍歴しぬくことのなかで、改めてとりかえされなねばならない。*13

 休けき故郷に自足していることではなく、異郷において故郷を探索する強い意志が肯定される。近代においては故郷喪失が世界の運命となる。しかし人間の本質は存在への応答的投げである。*14 したがって根源の存在への権利はあながち否定できない、とまあハイデガーはそういう風に言っているようだ。
パセティックな欠如にあらかじめ置かれているオーセルとさほど共通点があるわけではない。だがまあ、故郷喪失の普遍性とそれにもかかわらず根源を奪還する事の可能性を肯定しているという二点で、オーセルに力を与えると考えることができる。

ちょっと強引な展開になった。
基本的に安定した主体は安定した国民国家(ないし帝国)との安定した関係において成立する。オーセルの場合はそれが奪われている。では日本人にとってはどうか。日本人は国家との安定した関係を信じようとする人が多いようだ。しかし本質的には、日本人だって国家との安定した関係を生きているわけではない。経済成長期のモーレツサラリーマンならまあだいたいそのように生きていただろうが。

オーセルの報告するチベットの情勢はあまりに辛いものだ。*15私たちは、平和な日本に生きているので、そのままではオーセルに近づけない。哲学的な脱構築を自己に施すことによって、むりやり対等性を獲得できるのではないか、と考えてみました。*16

オーセルのパフォーマンス

オーセルが行った一つのパフォーマンス。それは自分がかって書いた自己批判書をわざわざビデオの前で自分で読み上げるというものだった。
国家による国民管理を目的に作成される個人の経歴、思想等の調査資料を収集した秘密文書であるところの档案(とうあん)という重要書類が現在中国には存在する。現在、そうした書類が流出し、売買されるといったことがあるのだそうだ。オーセルも自身のそれを手に入れた。あるアーティストがそれをドキュメンタリーにしようとし、自己に対する告発文や自分が書いた「共産党への忠誠を誓う決意表明」をオーセルはカメラを前に延々と朗読し続ける。*17
「官製メディアの決まり文句の紙背には苦悩や葛藤で分裂した心理、重大なアイデンティティの危機があった。従って、これを読むことは当時の記憶を呼び覚ますことになり、強靭な精神でなければなし得ないが、オーセルはこれを確実に遂行した。彼女は、果敢に内奥へと分け入り、心の分裂による葛藤や苦悩を剔抉し、乗り越えたのである。*18」と劉燕子は評価している。
苦悩や葛藤で分裂した心理をむりやり押し殺すことによって作られる「国家に期待されるアイデンティティ」に対して、その時押しつぶそうとした苦悩や葛藤で分裂した心理を数十年後に再確認しようとオーセルはする。「国家に期待されるアイデンティティ」を否定することが正しい、否定によって正道に立ち返った自己のあり方は正しいとオーセルは思っているであろう。しかし触れたくないであろうそこにあえて立ち返り、わざわざこのようなパフォーマンスを行おうとするのはなぜだろう?
「国家に期待されるアイデンティティを演じてしまう」(それが現在でも大方の大衆の生き方であるわけだが)存在様式を頭から否定するのではなく、辛いながらもそれに抗う勇気(とためらい)にこそ価値があるとオーセルは考えた、だからこうしたパフォーマンスを行ったのだろう。
(1/31記)

*1:p365『チベットの秘密』

*2:裸青麦(チンコー)の粉を素材にしたチベット人の主食。ここに作り方の動画がある。http://www.youtube.com/watch?v=UscFH2VO5a4

*3:p373 同書

*4:p374 同書

*5:p260

*6:p401

*7:p375 同書

*8:p367 同書

*9:ジュディス・バトラーp36『自分自身を説明すること』

*10:p37 同

*11:「…」

*12:p61 同書

*13:p288訳注『「ヒューマニズム」について』ちくま学芸文庫

*14:p84『「ヒューマニズム」について』

*15:オーセルによらなくても現実がそうである。

*16:「雪の花蕊」の元になった劉燕子氏の文章は、雑誌イリプス第二期 2012.09号に載った。ここには「オーセルがハイデガーのいう故郷喪失者(Heimatlose)を超越する次元へと進んだことを示している。 」という文があったので、ハイデガーについて考えてみた。ただし単行本に収録された「雪の花蕊」は大幅に改稿されこの文章も省かれている。

*17:高校三年生から2003年に公職を追放されるまでの18年間のもの

*18:p369 同書