松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「ダライ・ラマが焼身を扇動している」となにがなんでも誤解したい人たち

ダライ・ラマと書き始めたが、達褚喇嘛、Dalai Lama、などいろいろな表記があるようだ。チベット仏教ゲルク派の高位のラマ 大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものだそうだ。ダライ・ラマ14世(1935年生、在位1940年〜)法名はテンジン・ギャツォの発言について、メモしておきます。
ダライ・ラマ*1チベットの焼死者についてどう言ったか、についてのニュースだが、私はそれについてあまり興味はない。チベットの焼死者あるいは、焼身供犠者については興味を持ちつつ、興味本位に接近できる対象ではないとの自戒もあり、というより単に重苦しすぎる話題であるため、せっかくダウンロードした「太陽を取り戻すために チベット焼身抗議」についても、105頁までしか読んでいない。全体の丁度3割である、私のこの問題への接近がいかに中途半端で及び腰かわかる。私にとっての問題はこの本を読んでそうしたことをぐずぐず考えたり考えなかったりすることにあるので、ダライ・ラマが何を言おうが別に興味はない。
原一博さんのこの本は大変優れた本だと思う。ダウンロード容易で無料なので、ぜひ皆さんも読んでいただきたい。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51799025.html 


で、どうでもいいと言いながらながら、なぜ紹介するかというと、チベットのショッキングな焼死者たちの多数の群れに対して、そのショックをむりやり薄めようとするために、チベット人の悪口を言う、某S氏のような人がいる。
ダライ・ラマ焼身を扇動している」となにがなんでも誤解したい人たちというのも、某S氏と同じく汚れた心の持ち主だ、と私は思っているということなのです。

http://www.supersamgha.jp/2013/11/post-103.html のブログを読むと、その背景を含めて丁寧に解説している。のでそちらを読んでいただけばよい。
私は某S氏批判という文脈で、発言部分を念のために引用だけしておきます。

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飯島:「本土では焼身抗議という大変な抗議活動が行われていますが、それはまったくやむことなく、伝え聞くニュースではまだ小さな子どものいる母親までもが自分のいのちを灯明に変えて、その苦しみを世に問うような大変なおこないがされているのですけども、そういった暴力性の中でわたしたち仏教者というのは何ができるのかぜひお聞かせいただければと思います」

法王:「このように自らの命を犠牲にして何かに抗議するという行いは、今までも行われていたわけです。例えば中国の中におきましても、ある中国の仏教のお寺の僧侶の方が自らの命を投げうって、人びとのために抗議をしたことがありますし、ベトナムの中でもそういったことは起こっています。そして私たちの国チベットでも全く同じです。


このように自分にとってもっとも大切なものである命を投げ出して、他の人たちを救うために、世の中にそういったことの不条理を問いかけようと、こういう行いというものは本当に尊ぶべき、本当に美しい行いだと思います。そういった行いというのは、究極的には他の者たちに暴力を使わないで自らを痛めるということによって、世にその不合理性を問うという行為であるわけですから本当に素晴らしい行為ではないかと思います。


 これに関しましては、もちろん本当に非常に心が痛む悲しい出来事であるわけです。私はひとりの仏教の僧侶でありますので、そういう意味においても本当に焼身自殺者が出るということに関しては本当に心を痛めているわけなんです。これは政治的な状況によって、どうしようもなく起きてしまっていることであり、私自身は約2年前に完璧に政治的な分野における最高指導者としての位置を引退しておりますので、そのような状況であります」

*1:14世は略す