松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「年周視差」感想

さて、「年周視差」である。


年周視差とは地球が太陽の周りを一年で一周する公転軌道の最遠の二点から、ある恒星を視る場合の微少な角度の差のこと。底辺の長さと頂点の角度が分かっていれば二等辺三角形の頂点までの距離を求める事はできる。

これは一つの天文学的手続きである。これを年周視差のヴィジョンと受け止め応用できると、松下は考えた。


「不可逆的な対象やテーマに関わり、もがいている過程がある場合」松下の前提になるのはもがいている実存だ*1。日常生活、生涯設計的パースペクティブが崩壊してしまっている状態。全共闘から40年、わたしたちの生はデータベース的なもの、資本主義化された欲望、金といったものに沈没しているので、「もがいている主体」に到達するのさえ容易ではない。でもまあとにかく「もがいている」として。


どこかに周期を持つかどうか。
例えば、息が苦しくなればおのずと息の感覚は短くなる。それに気づいたらそのリズムを固定し自覚的に持続してみる。すると少しは苦しさはマシになりリズムを緩めることができるようになるだろう。
松下の言っているのはそういう事ではない。


「その対象やテーマを媒介する自分の位置〜感覚が、最も差異を示す〈最遠〉の二点を繰り返して通過する」同一あるいは類似の体験の反復の場合それを反復であると認識しやすい。例えば、チェルノブイリとフクシマの反復のように。その場合、四季に例えるとABCDAB・・・といった周期までを認識しているわけではない。最も顕著な特徴を示す二つの季節の類似性を感じたまでである。


まず「前記の二点を模索してみよ」、と命じられたとせよ。六甲大地震と東北大地震の反復について考える。即ち自己の生活基盤やそれを支える日常の時間感覚常識を放棄せざるを得ない体験と、それに回帰しきってそれを意識しなくなった状態の二つを〈二点〉として取り出すことができよう。私たちは価値観と同時にしかそれぞれの「点」を想定できない。Aに対しCという対極を想定した時、Aに肯定的評価を与えていれば即ち、Cは否定されるべき体験となりできるだけ直視せずなかったものにしてしまおうとする心の動きが起こる。したがってまず〈二点〉を取り出す事は意味のあることだと考えられる。


ところで、〈恒星〉とは何だろう? 私たちはどうあがこうが地球軌道という薄っぺらな円周から外にでることができない。そこで不可能性を確認するのではなく、はるかに遠い〈恒星〉が存在するとする。まあ実際恒星は存在する。また例えば自分の身体といったものは極めて身近なものでありながら、自己意識からは把握できない広大な領域になっている。自己の最大の落差(距離)に対しその距離を極めて微少なものにしてしまう圧倒的な〈遠さ〉。ヨーロッパ思想史においては当然〈神〉を想定しても良いことは良い。だが、これが最もソフィストケイトされた〈神〉の導入であることが理解できない場合は神を離れた方が良いだろう。


「天体の運動のように、ある瞬間の状態が判れば前後の状態や繰り返しが厳密に判る現象だけでなく、煙が風の中で拡がる時のように確率論的な偶然の連鎖で生じる現象によって世界は構成されている」
後者はまさに今誰もが気にせざるを得なくなった福島原発からの放射能の拡散のあり方だ。二種類の現象があるがいずれにしてもそれらは、人間の(少なくとも私たちの)心理や意図とまったくかけ離れたそれ独自のルールによって勝手に動いているということだ。しかしそうしたものを認識するのは簡単ではない。人間はなんでもすぐに自分の価値観に合わせて、いわば事態を人間化してしまった上で認識する。そこにはすでに錯誤が孕まれている。


「自然科学的方法を比喩的に応用する場合、人間と対象のそれぞれの内部を流れる時間性、幻想性、生命活動の可逆性などの条件を共に高めようとする度合だけ示唆的でありうる。」
これは何を言っているのか?
「柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけている。参考」
http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20100503%231272836136
という問題があった。この場合(自然科学でなく数学だが)、自己の葛藤と行き詰まりがあったとしてそれを「ゲーデル」に比喩することが、人間と対象のそれぞれの内部を流れる時間性、幻想性、生命活動の可逆性などの条件を共に高めることにつながったかと言えば、答えは否であろう。
「時間性、幻想性、生命活動の可逆性などの条件を共に高める」といったフレーズは一見「甘い」ように感じられるかもしれないがそんなことはないのだ。無限定で何を言っているか分からないようだが、そうではない。それがない状態、不毛な状態がどんなものかが分かる場合はしばしばある。


(「寝転んで夜空を眺める気分でこの項目を記した」なんて、なんて嫌な奴だ。と思わなくもない。とおり一辺の理解をするだけでも2、3時間苦しまなければならない文章を簡単に書き飛ばしてもらっては困る、とまあそれは愚痴にすぎない。)

*1:英語では「STRUGGLE」、関係ないが京大全共闘機関誌の名前だったと聞いている