松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

絶滅危惧種?

http://blog.goo.ne.jp/aoitoko/e/d4df51581af2f926a514f42f82ed7834 あおざかなの買物日記(goo版)
でも、大阪領事館前行動に行ったという話が出ていたので、少しお話できた。野原のコメントのうち一つを下記にペーストする。

絶滅危惧種? (野原燐)
2006-08-09 21:22:30
あおざかなさん 
お返事ありがとう。
あのシュプレヒコールを「芸風」として見れば、確かに、社会と闘って生きてきた労働者の年輪を直接に体臭として感じさせる今では希少価値のある芸風かも知れませんね。とはいいながらやはり異和感があったのでした。
“運動的なものすべて”に対し、幾分かは当たっていないこともない批判が膨大に浴びせかけられる時代ですね。イスラエルの情報戦略を批判的に「見る」すべを学ぶと、そうした左翼批判も同様な情報戦略のようなものなのだなと思ったりしますね。でもこういったことの全ては自分の立脚点を疑おうとすることなので難しいなあと思います。

今回の「反イスラエル」は理屈や感情としては誰にでも納得してもらえる(日本では)はずのものだ、と思います。素直に訴えれば・・・?
でも今回予想外にブロガーが多かったのでびっくりしました。運動が広がっていくと良いですね!
(今回批判的にだけ言及してしまいましたが、杉田俊介さんの文章は前のサイトの頃から愛読していて、いろいろ教えられてきました。愛読者ですと一言書いておくべきだったなあ。)

 「自分の左翼的イデオロギーに熱中する演説」に対する野原の異和感を書き留めるところからこの記事は始まった。
 普段から労働組合運動をやっている左翼の人たちと、ブロガーなどの一般参加者たちとの間には同じ集会に参加するにしてもかなり大きな意識〜行動の差異がある。もちろん差異は一人一人それぞれあるのだが、組合活動家のそれとブロガーのそれ、という風に2極化して取り出すことには意味があると思われた。
 「敵を糾弾する」言説に対し、「そのとおりだ、だが……」と二項対立的言説に対しメタレベルに立ち、最初の糾弾を幾分か相対化する。ブロガーの言説はつねにそうしたものでしかないのではないか。そうすると、
 「“運動的なものすべて”に対し、幾分かは当たっていないこともない批判が膨大に浴びせかけられる時代」であるという規定が当たっているとする。そのときブロガーに出来ることは何か。何もない。*1
・・・
そのようなことも少し考えた。
(8/11追記)

*1:もちろん何もないわけではないが、文脈上あえてそう書いてみた。