松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

誤りを含み、拡大する私の行動

 誤りを含み、拡大する私の行動は、なぜきびしく批判されないのだろうか。私の立場にいくらかの正しさがあるのか、私の苦痛に対するいたわりか、口にするとなれあいになってしまうのか、本来、無視にしか価しないのか、……分らないので再び行動に移る。
http://trans.hiragana.jp/ruby/http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 それが行動の名に値する限り、必ず「批判」はやってこない、そういうものではないだろうか。もちろんみなはそれに賛成しているわけではなく反感や異和を持つ者の方がむしろ多いだろう。しかしそれを言葉にするためには、自分の価値観が他者の行動を包括し得ているという自信をあらかじめ持っている必要がある。言説的にも行動的にもすでに行われたことの反復に過ぎない行動の名に値しないものでない限り、批判はやってこない。
 ブログにおいても優れた記事にはコメントが付かない。調子を下げツッコミどころが明らかになったときにだけコメントが殺到する。*1

*1:まあこれはコメントとかもらえない寂しいブロガーの負け惜しみ、でもあるが。