松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

矛盾を討論によって解決する

「 秦暉:多民族国家の多元化と一体化の道:インドとユーゴスラビアの比較」
とりあえず、秦暉氏の上の文章を読んでみよう。*1


秦暉はインドとユーゴスラビアを比較する。左右の政治思想の相違が許容されている社会といくつかの民族自治の思想が許容されていた社会の相違として。

 階級の分岐もしくは左右の分岐が、一般的には国家を分裂させないのはなぜだろう?


 左右の分岐と階級の分岐は可変だ。左派に投票した人は次の選挙では心変わりして、右派に投票するかもしれない。


 第二に、左派、中間派、右派の分岐は理性に基づいており、論理で説得でき、みんなの実益とリンクさせることができる。

「世の中に一元化された事物などないが、もし本当に多元化しようとすれば、多民族国家においては「左右の多元化」こそが最も民族への帰属意識を希薄化する多元化であり、それゆえ、民族和解の促進と国家統一にとって有利である。」
多民族国家中国においてはチベットウイグル、モンゴルなど民族問題がある。民族主義者は当然にも民族の独立を求めてしまうが、それはむしろユーゴやパレスチナのように流血の非和解性から抜け出られないことに結果するのではないかと考えているようだ。
そして「左右の多元化」と「左右の間の討論」によって、矛盾をひどいレベルにまで激化させずに解決していくことができると、その例がインドだと言っているようだ。


さてここから私たちは何を学べるだろうか?
狐狸庵先生という方が2010.12.24に「劉暁波とジュリアン・アサンジ (下)」という文章を書いておられる。id:bogus-simotukare氏が依拠して、野原に嫌味が言いたいようで、urlを示してくれた。*2


狐狸庵先生*3は、「その時にテレビで映っていたのは劉氏が書斎か居間かで寛(くつろ)いでいるようすだったのですが、その部屋は私には豪邸の一室のように見えました。」という印象から書き始める。
劉氏が豪邸に住んでいるのかどうかを決定することが大事なら、先日来日していた王力雄さんは暁波の友人(家が近い)らしいので、聞いてみたら良かったがもう離日してしまった。劉霞さんにtwitterかメールで聞くこともできるはずだが、現在中国当局が一切のコミュニケーションを遮断しているのでそれもできない。*4


そして次に、狐狸庵先生は「下記の記事を読んでいたら、その謎が解けました。」と書く。

And in fact, Liu Xiaobo is funded by the Endowment for Democracy in Washington.
劉氏はワシントンに拠点をおく組織「米国民主主義基金」(National Endowment for Democracy, NED)からお金をもらっているのです。
というのは、このNEDなる組織はCIAの隠れ蓑であり、世界各地でクーデタを起こす道具として使われてきたことは、少しでも米国外交史を知っているひとには衆知の事実だからです。

基金というからには金をばらまくのが商売だろう。小田実も受けたフルブライト奨学金と似たようなものなのか、そうじゃないのか私にはわからないが、NEDから金をもらったとして、それでCIAのスパイ扱いをして、暁波の思想性を否定できるとする論理は納得できない。


つまり、民族独立派から見れば漢族であり*5民族自立を支持しない秦暉は、中華主義者として糾弾されてしまう。「民族への帰属意識は結局のところ、はっきり言って一種の感情であり、ちょうど私が母親を愛するようなものだ。」自己によって決定できない前世からの因縁によって、独立派と秦暉は隔てられ相互対話は不可能だ。*6


それに対し、狐狸庵先生は劉暁波と民族は違うがそれは問題になっていない。思想的には民主主義肯定として共通点が多いのではないかと思われる。しかるに狐狸庵先生は劉暁波のCIAとの接点という一点を拡大し、結局劉暁波をCIAという巨大な悪と強い繋がりを持つ者とラベリングし、それで終わりとする。思想家、文筆家をそれとして遇さずして処理済みにしてしまう。階級闘争史観に立つ人ならそういうものかとも思うが、そうでもなさそうなので戸惑ってしまう。

例えば私が左派なら、私は福祉国家を主張し、福祉国家が国民にさまざまな保障を提供することができると主張する。私が右派であれば、私は自由競争を主張し、福祉国家の欠点を上げて、自由競争は経済の活力を高めるなどと主張する。これらの主張は、理性的な分析を行うことができる。左派にも右派にもそれぞれ長短があり、その長短も容易に説明できる。

私たちは市民社会でも国会でも自由な討論を保証され60年間継続してきた。しかしはかばかしい効果はあげていない。したがって上のような意見を読んでも、「昔の中学・高校の優等生のような自由な討論論」といった感想をもってしまう。*7


討論に絶望することは許されていないと私は考える。一方国会や選挙とかいうのものが決定的に大事だとは、私は考えていない。
ある人がNEDから金を貰ったからと言って、彼の文章を読まずに彼の本籍を突き止めかのように処理済みにするやり口は、スターリニズムにすぎない、と考える。

*1:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/6f6097348e7c14b4c2dddcd6d1ce43af

*2:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20110309#c1301200919

*3:私は親しんでいなかったがこれは遠藤周作の別名のはず。変な趣味と思えるがまあ良い。

*4:劉霞さんをそうした状況においやっている中国当局への怒りを、丸川、鈴木とid:sumotukareはもっていないようだ。それがおかしいと私には思える。

*5:確認していないが

*6:最近王力雄さんとウイグル独立派との対話のきっかけがあり、王さんの対話への強い意思が印象的だった。

*7:私たちが08憲章を読んだときに感じる最大の違和感はそうしたものだ。したがって08憲章=劉暁波に対する自己の違和感を説明するため、秦暉をもってくるのは、牽強付会にぎない。