松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

お金が余ったら福祉に金を使え?

次に「秦暉:中国モデルの特徴は非民主的土台」を、急いで読んでみよう。*1


中国モデルとは何か? 「この前、北京大学の姚洋教授がまとめた中国モデルの特徴は、一に比較的平等を重んじ、二に「中性政府」を持つことだそうです。」
日本はかってどんな社会主義国よりも平等主義的といわれたこともあったが最近はそうではない、でも中国よりは平等な社会なんじゃないかと思っている。

今の西側では、米国であれ欧州であれ、今回爆発した危機の核心問題は民間と政府の債務が多すぎ、欠損が大きすぎて、資金繰りに行き詰まっていることです。

ふむそうなのか。日本では「民間の債務が多すぎる」というのは10年以上前に言われたことかな。

つまり西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上に立っており、双方がともに民衆のために発言しなければならないからです。左派は高福祉を主張するときは自信満々ですが、高負担を主張するときはしどろもどろです。右派は低負担を主張するときは自信満々ですが、福祉を後退させるとなるとしどろもどろになります。もしも、高福祉・高負担、もしくは低福祉・低負担の組み合わせなら、どちらも財政破たんには至りません。しかし、低負担・高福祉なら当然財政に大穴が開きます。西側の左派が政権を取ると政府は民衆のためにより多くのお金を使おうとし、右派が政権を取ると政府は民衆からの徴税を抑えようとします。それを何回か繰り返していたら、国家財政が破たんしない方が不思議です。

これは非常に分かり易い説明! 

中国の左右両派は西側とは正反対の土台の上にいます。つまり、中国の左右両派はまず「皇帝」のことをおもんぱかるのであって、民衆のことをおもんぱかるのではありません。(略)
問題は彼らが生存する土台が異なるということなのです。だから彼らは右であれ左であれ、演じる役割は西側とは正反対です。
私たちの左派は国家がしゃにむに民衆からお金を吸い上げることを主張し、そうでなければいまいましい「新自由主義」だと非難します。一方私たちの右派は国家は民衆のためにお金を使う必要はないと主張し、そうでなければにくらしい「福祉国家」だと非難します。(略)

私たちの政府は「社会主義式の権力」を持って「資本主義式の責任」しか負担しません。一方、西側の政府は「資本主義式の権力」しかないのに、「社会主義式の責任」を負担しなければならないのです。

お金が余っていれば福祉に金を使えば、選挙に通りやすくなる、そういう発想をすぐしてしまうが、それも選挙があればこそ、というわけなのでした。

「市長」は勝手気ままに民衆から徴税できるのに、民衆は「市長」に対して福祉を求められないのであれば、どの国も大金持ちなるに決まっています。(略)
私たちが現在目にしている中国モデルの特徴とは何でしょう? それは政府が大金持ちだということです。西側の政府が財政がひっ迫してあちらこちらに布施を求めている時、我が国の政府は湯水のようにお金を使っている。我が国の鎮政府の豪華ビルは西側の大都市の市役所よりもずっと豪華ですし、私たちの都市には「イメージ・プロジェクト」〔共産党中央のメガネにかなうように、街の目に就くところを飾り立てる事業〕が充満していて、西側の「豊かな国」から来た観光客はあっけにとられています。

津上俊哉氏(「岐路に立つ中国」)は「リーマンショック以降、中国経済がますます「官の官による官のための経済」となりつつある」と言っているみたいです。矢吹晋氏も労働分配率の低下を言っていたし、まあそうなんでしょう。