松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

〈反日〉日本人の起源(1)

反日というときの日本とはそれだけ単独で存在するわけではなくて、その裏には中国や韓国(朝鮮)をどう認識するかという問題が存在する。
戦後の中国学パラダイムに大きな影響力を持ったのは竹内好である。
彼の「中国の近代と日本の近代」によれば、日本文化は転向型(自己放棄)、中国文化(自己保持)と対比させられる。溝口雄三氏の紹介をさらに要約する。*1
19世紀末の西欧のアジア侵入に対して、日本は「構造」の変革抜きに次々と新しいものを受入れ、ただヨーロッパになろうとつとめる。一方、中国は、その「構造」において抵抗し敗北しつづけ、その敗北感の持続のゆえに抵抗を持続し、つまり自己に固執し、自己に固執することでやむなく自己を変革した。というのが竹内の日本/中国論。*2


さて、溝口のこの本(1989年刊)の冒頭の文章(「〈中国の近代〉をみる視点」と題されたもの)は文化大革命の評価をめぐって相変わらず中国内部の潮流の変化に追随するだけで、自己を思想的に切開することのない中国学業界人に対する苛立ちをモチーフにしています。筆者は中国革命に対する憧憬を内部に持ちながら研究生活を続けてきたと認めます。したがって自己の思想問題として考えることなく文革追随派を叩くことはできないとします。
自己の、そして少なくない日本人の精神構造を語った文章は次です。

小学時代とはいえ「大東亜共栄圏」のなかで育ったわたしどもにとって中国革命のもった人生上の意味は少なくない。聖戦が侵略であったことの贖罪の問題、戦後日本の対米従属、中国封じ込め戦略への加担をむぐる問題など、政治にわたることもあるが、それ以上に自分が聖戦と信じてきた正義(単なる知識ではない)がまるでひっくりかえされた内面的ショックと、その上でまるで異次元の世界のような中国革命の突如たるーーそれは全く印象として突如であったーー出現に対する知的ショックは、大げさでなくわたくしの人生方向を決めるものだった。「遅れ」ー「革命」はわたしの原点と言えるのである。その根底には日本近代批判、というよりはヨーロッパへの無念さをベースにしたアジア主義と贖罪にもとづいた反帝国主義がある。西氏の超近代はこのような戦後世代の反日本の理念とか感情とかの土壌のなかにある。そしてこの土壌は、文化大革命に自己の反日本=反近代の理念的よりどころを託した次の世代にも共有されえた。つまり「革命」はかなり長期に反日本的日本人、といって悪ければ革新主義的日本人、の間に根を下ろしてきていた。
 端的にいえば「革命」は〈われわれーー人民になりきれないーー日本人〉にとっての自己止揚的理念型であった。
(同書 p54)

(書きかけ です。)

*1:『方法としての中国』isbn:4130130161 p7

*2:この論文は、異様な熱気そのものである文体によって書かれているので、本来は要約不可能です。