松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

対日賠償請求放棄は絶対ではない

なぜなら、戦後の中国共産党国共内戦、台湾(国民党)との緊張、ソ連との確執(中ソ対立)、などの一連の過程で、国民党やソ連への対抗を優先するため、日本に対しては「悪いのは一部の軍国主義者で日本人民も被害者」という「二分論」で、融和的な姿勢を示し続けたからである。これはついに米中接近を経て、日中国交正常化に際しての対日賠償請求放棄*1という妥協に至る。

*1:賠償は広範な日本人民に苦難を強いる、という建前で。
http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20091010/1255153704

 戦後日本では反共派vs左翼という構図があるので分かりにくいが、中国共産党はそのイメージとは違って、極めて融和的(宥和的?)対日和解をした。戦争に負けても日本は(米国という後ろ盾があり)中国(共産党)よりも大国だった、というわけである。

韓国の事情も似たようなもので、朴正煕政権は国民的反対を押し切って、対日請求権を「最終的に解決」する日韓条約を締結した。(同上)


したがって、両国の対日賠償請求放棄はいずれも、日本の圧倒的に優位という当時の情勢下でうまく決定できた僥倖的なものにすぎない。1990年代以降両国が日本と対等な大国に成り上がってきたといえる。したがって、かってのような優位な布置はすでに存在しない。

これが現在揺らいでいる。毛里和子の『日中関係』(岩波新書)によると、「2005年の反日デモのさなか、中国のインターネット上では、日本の軍国主義者と国民を分ける『二分論』、賠償請求放棄など、毛沢東周恩来が50年代前半に措定した対日基本原則についてのすさまじい批判がみられた。『怪論奇談』だというのである。」(87p)。(同上)

したがって上の意見は、別段、過激でも反日でもない当然ありうべき意見の一つにすぎないことになる。


冷戦下の不公平な布置の結果としての対日賠償請求放棄からはじまる、日中、日韓関係は、大きな問い直しなしには21世紀に持続できないものだった。従軍慰安婦問題なども国際政治としてはそのような問いかけの一部だったと考えうる。*1
このような21世紀的潮流に対し、ネットでは反反日派が勢力をもっているため、「反日」的認識とレッテルを張られることが多い。
間違った認識である。

*1:中国政府は相変わらず宥和的でありこの問題には消極的。