松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

唖蝉(おしぜみ)

  遠い日
             金 時鐘


 いつの日のことだつたか。
 私が蝉の命のみじかさにおどろいたのは。
 ひと夏のつもりでいたのが 三日生命と知らされて
 木の根つこの蝉のぬけがらを 葬つて歩いたことがある。
 遠い以前の その前の日のことだ。
 

 それから どれくらい時日が経つたろう。
 暑いさかりに 蝉が声を張り上げて鳴いている様を
 私は 心して 聞くようになつていた。
 限られたこの世に 声すらたてないものの居ることが
 気がかりでならなかった。
 

 私は まだ 二六年を生きぬいたばかりだ。
 その私が 唖蝉のいかりを知るまでに
 百年もかかつたような気がする。
 これからさき 何年が経てば
 私はこの気もちを みなに知らせることができるだろう。

http://homepage3.nifty.com/atsushihamamura/atsushihamamura/DIEPRESSE1.htm


 「唖蝉」というのは夏の季語である。鳴かない蝉、雌ゼミのことだ。

唖蝉や祷るかたちに羽たたむ  大石悦子

をはじめとしてたくさんの句が作られているらしい。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20070210 より


1940年に金素雲氏が日本語訳した朝鮮の詩のアンソロジー「朝鮮詩集」がこのたび、金時鐘さんによって再訳された。それを記念して今日(20日)のシンポジウムが開かれた。
四方田犬彦氏が基調講演で、金素雲から金時鐘が受け継いだ詩語として取り上げたのが、「唖蝉」である。韓龍雲の「秘密」というかわいらしい詩で、金時鐘が「音のない山彦のような」と訳している部分に金素雲は「唖蝉」という言葉を使ったとのこと。


上に書いた金石範さんの話(四・三事件後の失語情況)を知った上で、上の詩を読んでみる。金石範さんの話は60年も経ってようやく事態を客観的に振り返ることができることになっての話である。
金時鐘は26歳と書いているから1955年、48年四・三事件のさなかに日本に逃げてきてから7年しか経っていない。
「その私が 唖蝉のいかりを知るまでに/ 百年もかかつたような気がする。」他者の絶対的失語を重圧として感じながら、自己の失語を、ちっぽけな死骸のイメージをまず第一に持つ「唖蝉」というユーモラスな言葉に置き換えたこと。絶対的失語に覆われた存在のありようは、この唖蝉というひとつの詩語に絶対的負荷を掛けることにより、かろうじて転換を果たし得たのだ。
唖蝉はこれ以後むしろ、金時鐘の詩語として日本文学史に記憶される。