松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

朝鮮戦争時に越北。消息不明。

 金時鐘はなにより〈新潟〉の詩人である。「新潟の拉致被害者横田めぐみさん」の悲惨はそれが真実であるがゆえに日本人の心に訴えかけ、他の真実を隠してしまった。他の真実とは何か?を知ろうとするとき、まず金時鐘に尋ねれば、彼は晦渋な詩を通してではあっても雄弁に答えてくれる。


金素雲訳の岩波文庫『朝鮮詩集』は現在も重版中らしい。630円。「韓竜雲・金素月・李光洙・李陸史等四○人一二○篇の詩を香り高い名訳で贈る」アンソロジー。50年以上多くの日本人がその本を手に取った。しかし40人の朝鮮人(あるいは韓国人)に誰が興味を持ったのだろうか?

その訳詩集に網羅されている40人の詩人たちのその後の消息は、今もって問う人も明かす人もなく、いや必要を感じる人とてなく文庫に綴じられたまま今日に及んだ。
金時鐘 viii

 少なくない日本人がその本を読んだのだとすると詩だけを読んだ、朝鮮をオリエンタリズムの風味として消費しただけ、ということにもなろう。
金素雲訳『朝鮮詩集』を金時鐘が改訳し出版するにあたって、原詩(朝鮮語)を発掘すると同時に各詩人の略歴を掲載しようとした。

 そのそれぞれの生涯をたとえ「略歴」にすぎないにせよ、再訳を編むことでたどれただけでも、わたしには自己の課題以上の、詩を書く者としての責務の一端を担いえた気が今しているところである。*1
 その多くは植民地朝鮮で不遇をかこった詩人たちであり、待ち望んだ「解放」を見ずして夭折した詩人。獄死した詩人。せっかくの「解放」に出会いながら、北朝鮮の特異に過ぎる体制下で逼塞させられたあげく、韓国からすらも存在すら抹殺されてきた詩人。「解放」を境に事もなく、韓国での権威者に収まっていった元親日派の詩人、というよりも「親日」を掲げざるをえなかった詩人の誰彼。いずれにせよ『朝鮮詩集』に収められた詩は、植民地統治の谷間で揺れたひそやかな花々であ、そこに吹きつのった時代の隙間洩る(もる)風の音であった。
(同上)

 非業の死を遂げた者が過半だ、と。 1.日帝植民地下ということで日本が加害者であったケースがまずある。 2.それに対し、ソ連スターリン治下で処刑された趙明煕(チョウミョンヒ)のような人もいる。
解放後、4・3事件のような白色テロもあったわけだがその犠牲者があったかどうかは不明。
圧倒的に多いのは、解放後(あるいは朝鮮戦争時)「越北」し、北の共和国で生きようとしたが「消息不明」になった人たちだ。

 徐寅植は戦後、越北した。そして「越北後の活動は知られていない」。朝鮮人の自由を幾分か代表していた徐は、彼の自由とともに北の体制によって圧殺された(とわたしは想像する)。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040714#p2

 だいぶ前に野原は詩人ではなく思想家の徐寅植について上のように書いた。徐と同じように死んでいった(と想像される)人が数多くいたのだということ、このことは北朝鮮という特異な国家が崩壊のきざしをいまだ見せていない現在改めて強調されるべき事だと思われる。


李光洙 朝鮮戦争時に拉北された。長らく生死不明だったが、満浦で病死したことが確認された。p172*2
鄭芝溶(チョンジヨン)についてはこちらに年譜があるので引用させていただく。(同書ではp113)

1950年、朝鮮戦争勃発後のある日、出かけたまま行方がわからなくなる。
行方がわからなくなった後、北朝鮮軍に拉致されたのではとか、越北(自らの意思で北へ渡ること)したのではないかなどと言われ、彼の作品は禁書とされた。
その後、朝鮮戦争の最中、京畿道東豆川で、アメリカ軍機による機銃掃射に巻き込まれ死亡していたことが判明する。
1987年6月に民主化が実現、1988年7月、禁書だった彼の作品は解禁となる。
http://maypooh.exblog.jp/5456771/

 ここからわかることは「いなくなった」ことが、自らの意思(越北)なのか?、拉致なのか?を確定することが難しいということである。で越北者の表現は韓国では民主化までは無視されたと。
この二人は、越北というよりも拉北になるのでしょうか。


それに対し越北した人。
李燦  解放後、カップに再参加。北朝鮮文学芸術総同盟書記長に選任され、北朝鮮で文筆活動を続けていたと伝えられる。
越北したがその後消息不明になった人が7人もいる。

金億  朝鮮戦争時に越北。地方の共同農場に強制移住させられ消息不明。p8
金石松 朝鮮戦争時に越北。消息不明。p13
金東煥 朝鮮戦争時に越北。消息不明。p24
金起林 朝鮮戦争時に越北。死亡と伝えられるが没年は不明。p34
朴英煕 朝鮮戦争時に越北。消息不明。p142
朴八陽 解放後越北。最高人民会議代議員に就いた。66年反党分子として粛正され消息不明。 p156
林学洙 朝鮮戦争時に越北。金日成大学教授に就いていたが、66年に粛正された。 p221

*1:原詩発掘と略歴の執筆については野口豊子と丁海玉(チョンヘオク)の努力が大きかったようだ。

*2:この人は野原が唯一名前を知っていた有名人。(イグァンス)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%89%E6%B4%99