松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

事実とは何か?

    記憶とは何か?  金石範さんの話はそうしたテーマだった。
まず4・3事件の概要について当日配られた金石範さんの文章(朝日新聞記事4/17)からメモしておきたい。

 植民地から解放後の1948年4月3日、済州島で米軍占領下の南朝鮮だけの単独選挙を祖国分断をもたらすものとして反対し、武装蜂起が起こったが、約1年でゲリラ勢力は壊滅した。そして全島を廃墟に化した焦土化作戦による破壊は、この1年間に集中している。爾後、済州島では四・三事件はタブーとして歴史の闇に葬られ、一切の記憶が抹殺されてきた。記憶のないところに人間は存在せず、歴史はない。
 視てはならぬ、口を開いて話してはならぬ、耳で聞いてはならぬ。外部からの恐ろしい国家権力による記憶の他殺。権力に対する恐怖からくる島民自身による記憶の自殺。抹殺された記憶は内へと深く無意識の世界に沈みこんで、やがて忘却になり、死に近い沈黙に至る。四・三記憶の抹殺は、わが子の死体を抱いて悲しむことを、虐殺された父の死体を前にして父だと名乗って悲しむことの自由を奪ってきた。記憶とともに歴史が済州島から消えて、半世紀が過ぎた。(略)

 虐殺。虐殺の記憶を語るのは容易なことではない。親しい者がむごたらしく殺された場合それを回想することすら苦痛であり、トラウマがそれに蓋をしてしまう。まして島内の人間関係にまで張りめぐらされた「権力」がそれを強くタブーにしているとすればなおさらである。
 最も語らなければならない記憶を抹殺して半世紀間、生きていくのはどのような経験であったのか。話したいことを話すというのは人間にとって当たり前のことでありその自由を奪われることは、存在が呼吸すべき根源的な自由を奪われることだ、といったようなこと*1を金氏は熱っぽく語った。
・・・そのような話の前で私は語ることができない。

「事実」は、それを見ようとしない人にとっては、「事実」ですらない。*2

とかって上野千鶴子は書いたが、虐殺のような場合*3、むしろある「転回」なしには事実が事実であることはできないのだ。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060905#p2で「チビチリガマの集団自決」について引用した。あの記事を書いてもまだ、証言すること/証言を聞き取ることを、私は軽く考えていたことに気づいた。
事実は事実である。と私は主張する。しかしそのためにはしばしばありったけの勇気が必要とされるのだ。
 で犯罪者は常に、被害者の証言の困難性を計算に入れておりつねにその困難性を強化することを計っている。わたしたちはそのようなベクトルを感知しそれと戦って行かなければならない。

*1:表現不正確

*2:p13『ナショナリズムジェンダー

*3:従軍慰安婦もそうだが