松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

死者たちの霊の舞う空間

済州島四・三事件 60周年記念行事  “共に歩もう 平和への道”」に行ってきました。

【第一部】作家金石範氏に聞く“済州島四・三事件の「今」”
【第二部】民俗クッ “共に歩もう 平和への道”
  本作品は今回の「四・三事件60周年記念事業」のために、韓国民族芸術人総連合済州道支会(民芸総)と「四・三を考える会」が共同で制作したものである。
  済州島で活躍するアーティストと在日のシンガー李政美の共演がみどころ。詩やマダン劇、音楽などを有機的に組み合わせた複合的な演出は、済州島の民俗的な歌や踊りを盛り込み、死者の魂を慰霊するクッ(儀礼)へと昇華してゆく。
  この作品を通し、会場のみなさんとともに「四・三」を語り、60年の沈黙に閉ざされた恨(ハン)を解き放ち、真実と希望の扉を開け、平和への一歩を踏み固めたい。

 私の興味は主に金時鐘(特に詩集『新潟』)を通してのものなので、第二部にはそれほど興味はなくとりあえず行ってみたのでした。しかし第二部は予想外にすばらしかったです。
 第二部では済州民族芸術代表団というのが演じたのだと思いますが、そのような名称から予断するすでに自己から切り離された伝統文化という感じはまったくなく、ロックコンサートなみに演奏にノリ、巻き込まれることができました。シンバル太鼓など数種類の打楽器を中心にしたシャーマニズム系トランス音楽。反復の多い騒音音楽。十数分迫力を持って持続されたその音楽が、伝統的なそれの忠実な再現であるのかどうかは分かりません。ノイズ系の現代の音楽なんだといわれればそれはそれで十分聞けるほど緊張感あふれる演奏でした。死者を弔うという共同的意識が支配する空間。そうしたものと音楽の本質が不可分であるというわたしたちが忘れていた真実がたしかにそこにはありました。
 済州島で60年前に無惨に殺されていった数万人の人々。父母や近しい親族を失ったひとたちもたくさん来られていたはずです。そうした人々の思いが死者たちの霊を呼び寄せ慰めようとした。私は済州島と何の関係もないし、行ったことすらありません。興味深いからという理由で参加しただけです。そのようなわたしが評論家的観客として音楽を享受するのはいけないことである。そう言われるかもしれません。でもそのときは追悼=祝祭的音楽空間は、〈死者たち〉を中心にしつつも興味本位でその場に立ち会った人をも許し、浄化してくれるものなのだ、という印象を持ちました。