松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

儲けと良心の呵責

http://q.hatena.ne.jp/1201889891 に書き込んでみた。

はじめまして。

私達は戦争の恩恵を受けています。そして戦争がどこかで勃発すれば儲かる人がいて、その人がどこかで戦争でも起こってくれないかなと考えていて、私達がその人を不謹慎だと批判するのは妥当なのだろうか?ということです。もし批判するだけで、実際に問題解決の為に身銭を切ったり行動したりしないのであれば、私達は単なる偽善者なのではないかということです。例えそれが心の底から戦争に反対であったとしてもです。

戦争がどこかで勃発すれば儲かる人がいて、その人がどこかで戦争でも起こってくれないかなと考えていて、私達がその人を不謹慎だと批判するのは妥当なんじゃないでしょうか?仮りに私がそれを承知でその会社の株を買って多少儲けたとしても、儲けは儲けとして自分のふところに入れ良心の呵責はそれとして保持しつづければ良いだけの話です。実際に問題解決の為に身銭を切ったり行動したりすべきだとあなたが思えばすればよいし、思うけれどしない場合は良心の呵責に悩めば良いし、思わないならそれまでです。(良心というものがどういう物であるべきかも結局自分で決めるしかないですね。)
私達はつねに幾分か偽善者であるし、そしてそれを反省可能な存在です。ただあなたに直接反省を命令するほど、構図は明確ではないし、わたしが偉いわけでもありません。
「わたしは無罪である」という保証をあなたは求めているように感じますが、そんな保証をあたえるのは悪魔だけです。
偉そうな発言すみませんでした。

なおわたしはある歴史的条件における反侵略戦争独立戦争については「断固反対」かどうかについては、賛否を保留します。

ある種の事柄についてひとは良心の呵責を感じるべきだ、と私は言ってるわけではない。(良心の呵責など感じる必要がないとも思わないが。)
自分が勝手に良心の呵責に似たものを感じながら、感じる必要はないよねと他人に同意を求めたり、わたしの前でイラクと発語することの侵害性とか言いたがることは、許し難い、と私は強く思う、と言っている。
id:kurahitoさんにも関係あるのでTBしておく。