松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

プライバシーの暴露は重罪

kazhik 2007/12/25 19:16 fshisoの話題が出てきたのでちょっとだけコメントさせてください。私はfshiso出身で、『反論』について書評を書いたことがあります。(http://kazhik.net/soc/?p=10)
noharra さんが解説している通り、fshisoではプライバシーの暴露は重罪でした。運営に批判的だった私もその点だけは支持していました。しかし、実名より匿名のほうが「理性の公共的使用につながりやすい」とまで言えるとは思えません。ハンドル名だけで実名を公開しない場合、その人の発言は実社会での地位とは関係なくなりますが、ネット社会で特定のハンドル名が名声を獲得する場合もありますし、逆にその名誉が毀損される場合もあります。fshisoの場合、プライバシーの侵害はたしかにありませんでしたが、名誉棄損は日常茶飯事でした。そもそもfshisoの運営側は名誉棄損訴訟で負けた側、つまり結果として名誉棄損を擁護した側です。プライバシーの問題も実名/匿名の問題も、「理性の公共的使用」という観点からはあまりにレベルの低い問題だと言えます。

FSHISO出身者からコメントいただいた。うれしい。kazhikさんありがとう。

kazhikさん コメントありがとうございます。

kazhikさんがFSHISO出身とは知りませんでした。いつごろ参加されていたのですか。「運営」のあり方も時期によってずいぶん違っていたようなので。私が参加したのはシスオペがWAKEIさんの最後のころで、抜けたのは2001年の半ばころです。
「実名より匿名のほうが「理性の公共的使用につながりやすい」とまで言えるとは思えません。」そうですね。

言葉の一つ一つに一意の作者(id)がつけられ、まともな反論に対しては応答がなされるべきという常識が成立していること。
発言の削除訂正は作者によっても無条件に行いえないこと。

といった条件は「理性の公共的使用につながりやすい」と評価してもいいのではないでしょうか。
 アゴーンと言えばもっともらしいが実際はたんなる喧嘩口論が延々と続くだけと言えるようなものが多かったことも確かでしょう。
 ただそこでは、「討論の追求」といった価値観については誰も疑わず強く共有されていたという感じがします。そのような常識とそれから討論への熱意はやはり振り返って確認するに足りるものだと思います。

ネット社会で特定のハンドル名が名声を獲得する場合もありますし、逆にその名誉が毀損される場合もあります。fshisoの場合、プライバシーの侵害はたしかにありませんでしたが、名誉棄損は日常茶飯事でした。

ネット社会だけ考えれば「名誉棄損」というのはあまり成り立たないと思います。*1 馬鹿と書かれれば馬鹿と書き返せば良い、で済むと認識すれば「名誉棄損」という必要は狭まりますよね。

fshisoの運営側は名誉棄損訴訟で負けた

というのは地裁判決であり、高裁判決で覆りました。
参考 http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000202#p1

(http://kazhik.net/soc/?p=10)
いまから読んでみます。

なお、朝鮮民主主義研究センターのサイトで、リムジンガン日本語版のウェブサイトの開設を知りました。kazhikさんが強調されるとおりこれは画期的な企画だと思いました。12/27付けでkazhikさんの文章も借り宣伝させてもらうことにしました。
北朝鮮に付いてはふつうに発言しようとするだけで余計な苦労が必要という気がします。「弯曲」を越えて発言を持続されていることに大きな敬意を持っております。ありがとうございます。

*1:厳密には成り立たないわけではないが。