松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

愛はかならずねばついてくる。

“家族や国家、会社や名誉、自己”というものが、いつのまにか物象化された観念としてわたしを支配している。と下記で書きました。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060611#p4
同じことを滝沢さんは下記のように語っている(と思った)。

ところが、われわれ人間はたいてい、人間の内部の世界の諸関係だけがわれわれの拠り所だとこう思っています。そういう風に思うということは、根元を忘れているわけです。
どうしてもそこに、本当の愛ならばあるはずの、清々(すがすが)しいもの、淡々としたもの、そういうものがなくなってきます。
人間の諸関係というものは、何かこう、ねばついてくることになるのです。
そうすると、そのねばついてくるというのは、実際に親子の関係や師弟の関係とか、あるいは宗教的な仲間とかいうものが持ちうる、帯びうる以上の意味を与えているということですから、どうしてもお互いの間に、お互いを買い被っているわけです。(略)
その逆のことが、その反動として起こってくるのです。
p115滝沢克己『聖書入門第3巻』三一書房1986年 ISBN:4380865398