松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

悪霊のかしら

 汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。
マタイ福音書 12:43-46
http://www.fsinet.or.jp/~yoyoue/bible/mat.htm
「聖書 新共同訳」 マタイによる福音書 Copyright: 日本聖書協会

 スターリンとかヒットラーとか悪の権化みたいなのがいて一生懸命戦ってそいつを追い出す。それに成功したとしても、ほんの少し立つと代わりにもっとひどい奴が居座っている。このようなことはよくあることだ。*1
 そうでないためにはどうしたらよいか。滝沢克己によれば「その一番根元」「悪霊のかしら」というものを縛る、ということがなされなければならない。というわけだ。

 ですから、やはり闘うという場合に、一番の根元をよく踏まえて、蛇のごとく慧(さか)しく、鳩のごとく素直にやる、ということが是非必要だということになってくるわけです。
 そういうところの研究が、今までの左翼には足りないです。
(略)
 そういうことがもし、日本の左翼でよく考えられていたら、日本の戦後の教育もすっかり変っていたでしょうし、現在のようなことにならなかったと思います。
 普通に考えられても、遅いというほかないような状態です。
p218-219滝沢克己『聖書入門第3巻』三一書房1986年 ISBN:4380865398

 「悪霊のかしら」とは一体何なんだということははっきりしない。ただまあ大東亜戦争の総括についていうと、責任追及が決定的に不十分だった。815で歴史はリセットされた、これからは平和国家建設だという主張にはメリットも在ったとはいえるだろう。しかし自らに責任はない、つまり責任は一部のものにある、という議論で足りるとしてしまった、という点で、ここでいう「悪霊のかしら」を取り逃がしてしまったことになるでしょう。

*1:ヒロヒト・東条を追い払ったのに、小泉・安部が帰ってきた?