松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

死刑を歓迎するものたち。

事件全体の解明とは別に、アルカイダ関係者の逮捕を歓迎し死刑を当然のこととして予測する全ての人〜位置への批判的立場を持続する。

アルカイダ関係者の行為を審理〜評価しうるのは、かれらのやろうとしたことと対等なことを別の方法で実現していくことを開示している者だけである。アルカイダ関係者の行為にたとえ非人間的な要素が感じられるとしても、現代の非人間的な要素の総体との関連において、とりわけヒトラースターリン登場から現在の世界的な内戦状況における無数の死者の群の重さを視野に入れない判断は、必ず国家によるアルカイダへの報復(の安易な追認)と真の問題の隠蔽を招く。この社会の全ての矛盾の責任追及との関連なしにアルカイダ責任追求などなしえない。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060502#p1 に引用した松下昇氏の「ラセン情況論」*1と言うパンフにある文章の一部である。
(ただし、○○○をアルカイダに置換した。)

死刑を歓迎する論理は、世の中には「悪」とそれと対決しそれを処刑してくれる「慈愛にあふれた父(国家)」が存在するという図式において成立しうる。
しかし国境を一歩出た外側には「慈愛にあふれた父(国家)」などというものは存在するはずもない。米国によるイラク占領の失敗はこのように最初から明白なものであった。

*1:p8右