松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

意外にも反論が!

野原燐さん

ご指摘は誤りです。これは共産世界のことを考えてみると分かります。

ある日、革命が起きて自由主義国が共産国になったとしましょう。「すべての市民は自由である」という世界が、一夜にしてその否定、つまり自由が否定された世界へと変貌します。その場合、「すべての市民は自由である」(全称命題)が否定されて「少なくとも1人の市民は自由でない」(特称命題)になった、ゆえに共産国家は「自由な市民と自由でない市民が共存する世界」だと言えるでしょうか。

言うまでもなく共産国家は、すべての市民の自由が制限された世界です(例えば集会結社の自由や言論の自由がない)。特称命題は当てはまりません。ジェンダーフリーの世界も同じです。

>「すべての女は女らしくせよ」の否定が、Aです。ということは、
>「ある女は女らしくなくてよい」「ある女は女らしくてよい」が、Aだ、ということになります。

この部分が間違いだということです。プロパガンダとしては100点ですが。

もっと実態を知るべきです。ジェンフリの狙いがジェンダーの解消にあることは、現に行われている(てきた)ジェンダーフリー教育の実態を見れば歴然としてますよ。だから説得力がないと言っているのです。(Apr 30, 2006 08:03:50 PM)

Bruckner05さん 反論どうも。
ふーむ。
(3)共産世界への革命のことを考えてみると? 
「すべての市民は自由である」 −>
「すべての市民は“自由でない”」 に変わる。
わたしはそうは思わないけれども、仮にそうだとして。
Bruckner05さんは一体何を言ってるのか、なあ?

いわゆるジェンフリ派は口先では、「「すべての女は女らしくせよ」の否定」といっているが、本心は(あるいは来るべき革命の効果としては)「すべての女は“女性性を否定せよ”」である。ということのようだ。
ふ〜ん。なんだか分からないが「ジェンフリ」という陰の陰謀勢力が日本を陥れようとしていると。論理ではなく妄想の世界!妄想は論破できません。

(昨日書き込んだつもりだったがミスったか?)(2006年05月01日 07時44分34秒)