松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

〈世界を変える〉 幸福としての政治

とくに一八世紀において、フランス人なら「公的自由」というところを、アメリカでは「公的幸福(パブリック・ハッピネス)」という言葉がもちいられたことはこの相違をまったく適切に表現している。
要点は、アメリカ人が、公的自由は公務に参加することにあり、この公務と結びついている活動はけっして重荷になるのではなく、それを公的な場で遂行する人びとにほかでは味わえない幸福感を与えるということを知っていた点にある。後になって代表たちが有名な代議会議(コンヴェンションズ)に出かけてゆくことになるように、人びとが町の集会に出かけてゆくのは、義務のためではなく、ましてや、自分自身の利害に奉仕するためでもなく、もっぱら討論や審議や決議を楽しむためであったということは、アメリカ人たちには非常によく知られていたし、ジョン・アダムスはそのことを大胆にもたびたび定式化したほどである。彼らを団結させたのは「自由の世界と自由の公益」(ハリントン)であり、彼らを動かしたのは、ジョン・アダムスが他のいかなる人間的能力よりも「いっそう本質的でいっそう際立っている」とした「卓越への情熱」であった。
(ハンナ・アレント*1

 胸板の厚いアメリカ人の農夫が、小さな馬車にのって出かけていき、途中で(よその)奥さんに出会いこれから会議に行くのだと嬉しそうに説明している昔見たテレビの一シーン(?)を思い出してしまった。民主主義とはわたしたちにとって開放感、幸福である。なければならないことが何度も確認されなければならない。
 義務ではない。したがってわたしたちは投票に行かなければならないわけではない。投票行為によって日本が変わることはありえない。(少なくとも良い方に変わることは) それよりも社会変革への努力が、時期的にも関係性においても切断中断されるダメージの方が大きいだろう。(評論家的に語るべきではないが)

さて、昨日から毛利透という方の「市民的自由は憲法学の基礎概念か」という薄い論文を読んでいるわけです。

それ自体としては無力な表現活動の自由こそ民主的に世界を変える唯一の正当な手段である。
*2

民主的に世界を変える唯一の正当な手段として、普通「投票行為」というものが力説されるわけだ。しかし私(野原)は投票行為の権威を認めない。そこでさかのぼって「表現活動の自由」の権威を認めることにしよう。

 アレントが「今日理解されているような普通選挙」と述べるのは、この大衆をそのまま政治に動員しようとする、今日の代表民主政である。ハーバーマスが正しく指摘するように、「ハンナ・アレントはまさにこのことのなかに危険を見る」。「非政治的な人々」をそのまま政治に参加させるために機能する政党制とは、人々に対し政治的に活動できる場を与えないまま、「人民としての人民が政治生活の中に入り、公的問題の参加者となること」を許さないまま、投票で支配者を選ぶよう人民に求めるものに他ならない。「そこでは人民は投票によって支持を与えはするが、活動はあいかわらず政府の特権である」。ここには、唯一国家権力の濫用を防ぎうる「生きた姿」としての公的領域が存在しない。市民の公的問題への参加など必要ない、なぜならそれは政治を支配と管理の手段とみなす政党制にとって邪魔なだけだからだ。政治にとっての議論の重要性、それを可能とする空間の不可欠制を認識していないこのような政治観は、新しいことを始め世界を変える個々人の可能性を否定し、大衆を非政治的存在として絶望の中に放置する。市民の議論の場が存在しないゆえに実際には公論も存在せず、「大衆の気分」と私的利益の主張があるだけである。むろん、このような大衆、支配者を選べるだけでもありがたいと思わされている完全に受動的な大衆こそ、支配と管理の対象としてうってつけなのだ。
 アレントが批判するのは、政治は選ばれた者のプロフェッションだと考え、市民の日常の政治活動には無関心かあるいは冷淡であるですらあるのに、たまの選挙になると「皆さんそろって投票しましょう」という大プロパガンダによってそのように政治的経験を奪われた有権者に匿名の一票を投じるよう動員をかけ、支配に正当性のみかけを与えようとする体制なのだ。その投票結果は市民の意思を表してなどいない。なぜなら、市民の意思を形成する場が、そこには欠けているからだ。*3

 自己の私的利害だけ考えて生きることが正しいと教え込まれた個々人に対しあなたは何の心配も要らないそのままでよい、ただ一枚の委任状だけ提出しないさいという国家規模の否、世界規模のプロパガンダ
 〈自由かつ開かれた議論〉への敬意とそれに少なくない自分の時間を掛けようとする情熱、それらがないところにわたしの活動(政治活動)はないし、それらがないなら民主主義も存在していない。毛利が(アレントが)言っていることの真実は疑いようもない。

*1:p183『革命について』isbn:448008214X

*2:毛利透「市民的自由は憲法学の基礎概念か」p13 isbn:9784000107358

*3:毛利 同書p18