松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

(A2)「「女は女らしく」思想にとらわれてはいけない」

「「女は女らしく」思想にとらわれてはいけない」という命題を野原は肯定します。

ジェンダー肯定の意識を破壊しにかかるのがジェンダーフリーです。あなたが「女らしく生きたい」と思っている女性だとしましょう。あなたの意識は間違っている、その意識は女性差別的だ、あなたは生きた化石だと毎日言われてみなさい。あなたの価値観が尊重されたことになるんですか?

 女らしく生きたいと思ってそうしているなら何も第三者が批判がましい口を差し挟む必要はなかろう、というのはそのとおりですよ。世間で「女らしい」と言われる生き方や化粧の仕方をすること自体を批判しているのではないのです。自分の「生き方や化粧の仕方」を自分にはそれがふさわしいと思ってやっているのか、それとも「女は女らしく生きるべき」だからやっているのか?どちらなのかを問うているのです。
「「女は女らしく」思想にとらわれてはいけない」というのは「おまえは自由でなければいけない」という命令であり、その人があらかじめ自由というものを予感として理解していなければ意味不明かもしれません。だからといって「女らしいとされる振る舞いの禁止」と受け取る余地はない。
Bruckner05さんは、「「女は女らしく」思想にとらわれてはいけない」という命題を誤解している。