松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

プラトン雑感

私は演壇に立っていた。話さなければならない。
私はプラトンについて話し始めた。
プラトンを読むきっかけは、国家の一つのフレーズでした。
快楽についてある老人が聞かれて、「もう勃たなくなった。だけどそのことは幸せだ」みたいなことを言うのです。その露骨なことを素直にいうことができる雰囲気がとてもすてきだと思ったのです。パイレーシア、率直さというような雰囲気があったようです。いわゆるビクトリア朝的性道徳は日本の武士の体面重視の道徳と合流し現在でもタブーの雰囲気は存在します。
それがなかった時代の雰囲気は現在では実感しにくいです。
ギリシャには明るく開放的平等主義的な雰囲気があったけれど、そだだけではなかった。戦士共同体的同性愛やそれにおける年長者(エリート)の支配やソフィスト(口がうまい扇動家)の優位など問題点もたくさんありました。
ずっと昔の時代であり、現代日本の常識とも、現在欧米の常識とも、欧州で長い間作り上げてきたギリシャ像ともまったく違った常識が支配していたはずで、それはよくわからないはずだという前提をまず持つことが大事です。
しかも、プラトンは(ブッダなども同じだが)、一番大事な点については、明確には答えていない。つまり、一番大事な点について明確に答えても、誤解されるだけ、と考えたのでしょう。


ですからプラトンを読むことによって何かを得ようとしてはいけない。そこにあるのは探求、自己否定を含む歩みそのものです。


いくつかの論点についてだけ、できるだけ明確に成るように考えて行きたいと思う。


科学主義の批判についてプラトンは役に立つだろう。アリストテレスが物を重視したのに対し、プラトンはそれをまとめ抽象化し天上化していく動きを熱心に観察し記述した。
現実を、物、つまり対象に限定して、操作可能性を中心に把握するやり方は、一面的である。それは原発を操作可能なものに一旦はしたが、破綻の日以後も破綻を直視できず、隠蔽して継続しようとしている。
その場合、物を環境や自己身体との連続性において考えるという方法が一つ。
もう一つは、物を把握する自己の手つきが持つ矛盾を組み合わせて、「天上に至る」という方法の
二つだ。


民主主義の批判。アテネは軍事的敗北に伴い、民主主義についても揺り戻しが起きて30人委員会による独裁は大きな弊害を生み出した。にも関わらず、プラトンは民主主義それ自体の弊害から眼をそむけることができなかった。これは戦後70年の民主主義を、橋下、安倍に結果させたわたしたち日本のインテリも背負わなければならない問いである。
プラトンはどう考えたのか?
大衆を納得させることを至上とする俗論・雄弁主義(ソフィスト)を原理的に越えるためには、愛知という道しかない。それは数十年アカデメイアで学ぶといういばらの道だが、それ以外にはありえないとプラトンは考えた。
原理への問いが有効な答えを出してくれるかどうかは分からない。しかし、現在の制度の枠の中で考えて行動する「日本を良くする」によって、本当に「日本を良くなる」なりうるのか、は原理的に疑問であると思われる。
その前に、ある原理的問いかけを相手に浴びせかけ、一緒に考えてもらう、というのは一つの方法であると思う。