松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

解釈改憲という歴史意識

橋川文三は、太平洋戦争から敗戦へという経緯について次のように書いている。
「国体理念の解体によって、日本の精神構造は、はじめて「甲羅のない蟹」の状態におかれた。いうまでもなく「国体」は最高の価値シンボルであり、普遍者の犠牲的代位者にほかならななかった。(略)その解体は、全く新たな普遍者の形成を要請することになる。」(p24『増補版・歴史と体験』)
1959年12月の段階、占領も遠おに終わり平和と民主主義のもとに資本主義を謳歌する時代の前夜に、橋川は「戦争体験の超越化」を通して新たな原理の観点の樹立が必要だと考えた。
翌年、「平和と民主主義を守れ」とする日米安保反対の大国民運動が起こるので、橋川らもそれに合流していくことになる。しかし、すでに確立した「平和と民主主義を守れ」とする発想と、なお新たな原理の観点の樹立が必要と考える橋川との差異は少なくない。


ところで、安倍首相による、解釈改憲がここ数日のうちにも閣議決定されそうだと言われている。
毎日新聞のわりとソフトな記事から引用する。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140625dde012010008000c.html
作家、赤坂真理さん(50)はこう言う「議論が盛り上がらないのは、憲法が私たち国民の血肉ではないから。もし血肉となっていれば、内閣の話し合いだけで憲法解釈を変えるのはおかしい、という反対の声が改憲・護憲の立場を超えて出てくるはず」。
政治学白井聡さん(36)は言う「日本は『敗戦』を『終戦』と言い換えることで敗戦を否認し、戦前の支配層が戦後の統治者として居残った。東西冷戦中、米国の保護下で経済発展を謳歌(おうか)できたことで、国民は思考停止し、いくつものタブーを棚上げしてきた。」

憲法9条「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
としながら、巨大な「自衛隊」を養ってきた。
その欺瞞をさらに上塗りするように護憲派憲法9条護持を訴え続けた。
で今回、第三国と交戦するのも憲法違反でないとする、「解釈改憲」が行われると。
(中国での大東亜共栄の大義に反する長く出口の見えない闘いの持続に疲れヤケになって対米戦争へ、と同じような流れとも思う。)

55年間という歴史の隔たりを除けば、「護憲原理主義」との距離において橋川と赤坂・白井との差は意外と近いのではないか。
解釈改憲反対という声をあげていくべきだと思う。