松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「仲良くしよう!」 > 私も入れて

昨日は、大阪で、反レイシズムを掲げて「仲良くしようぜパレード」が行われた。

「仲良くしようぜ!」という呼びかけに対して、モジモジさんは、(イスラエルの)占領といったリアルで圧倒的な不正義に対して、「仲良くしよう」という呼びかけは他者の有り様との圧倒的差異を認識するきっかけとして、まず意味があるにすぎない、と論じる。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20140720/p1


おっしゃるとおりだと思う。しかし、「仲良くしようぜ!」とはパレスチナのようなリアルで圧倒的な不正義に抗議しようとするものではない。「昔よく買い食いしたコンビニ、信号が長くてイライラする交差点」云々という郷愁の確認から、「仲パレ」の呼びかけは始まる。そうした大阪の下町では4,5O年前から住み着いてそこで育った在日と日本系の人々が混じりあって住んできた。エスニシティを確認するような祭りも成立させてきた。そのような街角に突然あるネトウヨの娘が「鶴橋大虐殺を実行します」と叫ぶといったこの世のものでない、ありえない発言が登場した。それは100%愚かでありえない行為である。
喧嘩しながら(差別は存在しながら)ともに生きてきた地域住民の実感からして、「ありえない」、したがって叩き潰すべきだと多くの人が感じた。
そこで共に立ち上がったのが今回の「仲良くしようぜ!」パレードだろう。


共住の生活のなかに差別がなかったかといえば、なかったわけではない。しかしそれを取り出して問題化・運動化していく必要があると思えば、それはそう考える人がやっていけばよい。


「自由と人権は「国民」の占有物ではないと考えるひとびと」
http://d.hatena.ne.jp/kokuminyamero/ というのがあって、「仲良くしようぜ!」を批判しているようだ。
反日」とか「反差別」とか発語するのはよいのだが、それはあくまで自己切開の契機であるはずだ。そうした立場を定立させうると考えるとすればそれは大きな錯誤である、と主張しておきたい。


(モジモジさんの文章を読んで書き始めたが、応答にもなんにもなっていないな。)

誰も劉暁波には関心がない

で恥ずかしながら、
・・・仲パレ: 12時中之島公園 阪神高速高架下広場に集合! 13時パレードスタート あらもう時間だ。去年と同じ「劉暁波に自由を!」の写真を背中に参加予定。・・・



参加してきました。


去年と違って誰も、劉暁波に反応を示してくれなかった。
(来年は、もっとちゃんと準備して参加したいとも思うが)


実は劉暁波については私も、最近あまり考えていなかったのだ。
メモを書いたが、誰にも渡せなかった。

劉暁波氏は吉林省長春市に1955年12月28日生まれた。文芸評論家。1989年米国滞在中の彼は、天安門民主化運動を知りそれに参加するため北京に帰る。6月2日から天安門広場でハンスト。武力鎮圧が始まると犠牲を最小限にとどめるべく尽力。その後再三投獄され、国内で文章発表する権利を失う。
2008年12月9日に零八憲章(08憲章)を、303名連名で発表した。その前日拘束され、その後2010年2月11日懲役11年の刑に処せられ、現在獄中にある。同年10月ノーベル平和賞を受ける。すでに5年半獄中にあることになる。

中国の2004年憲法には、言論・出版・集会・団体の形成、行進、デモ、宗教などの自由についてや、労働・社会保障・教育の等の記載がある。零八憲章の発表は言論の自由の教科書的な例だ。したがって、それに対する弾圧を許さないと叫ぶのは、わたしたちの常識でなけらばならないと考る。
中国国家に敵対する立場からではなく、中国に生きる庶民の立場からの言論の自由の要求に共闘しよう!
2014.7.20  野原燐