松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

鄭義の「二つの文革」論


 「神樹」の作家である鄭義*1は2006年にこう書いている。

文革が発生してから、瞬く間に40年もすぎてしまった。」と彼は述懐する。*2 


文革をどう理解し評価するか、について、支配者が決めたそれに、わたしたちは*3従っている。「反抗する民衆」が共産党の高官たちを、一時打倒するという現象があり、その後、高官たちは彼らに復讐した。それだけでなく、「文革」というもののすべてをあらゆる機会と手段を利用して徹底的に否定した。


「(文革という)災禍から価値あるものを引き離し、救出しなければならないと少数の民間思想者は提案した」、つまり文革は徹底的に否定してはならない、と。
鄭義は何を言いたいのだろうか? 中国当局も中国国内の民主派も右翼も左翼も、文革を全否定するのが常識なのだろう、おおむね。そうであるところの現在、鄭義は何に価値を見いだそうとするのか。「人民が機会に乗じて造反する」という事がらにはそれでも価値を見いだしうるのだ、と鄭義は考える。


文革のあらゆる過程を経験してきたと鄭義は語る。*4
文革のような中国全土の各階層を席巻した凄まじい政治闘争は、不可思議な麻痺や狂気などではない」
政府側の学者が言うように「大狂気」なんてものであった?そんなばかな。
毛沢東への「個人崇拝」がすべての動因だったのか? そんな単純なものでもなかろう。


「暴政に反抗せよ」と毛は人民に呼びかけた。
中国革命成立後の社会を鄭義は次のように簡明に描く。「「鎮反、粛反、合作化、反右、大躍進、公社化、反右傾、四清」などの一連の常軌を逸した運動は極めて深刻な苦難をもたらしてしまった。とりわけ数千万人も無残に餓死させてしまったあの人災的大飢饉は民衆の胸に限りない憎しみを蓄積していた。」
まさにその時「偉大な領袖の毛主席が「党内の走資派を打倒せよ」と呼びかけた。」当然、「人民は旗を掲げて立ち上がる。」


文革は「皇帝の思し召しを奉じた造反」だという人がいる。そこには一定の道理があって、多くの青年の状況に合致していた。しかし、既に搾取と抑圧を感じてきた人に関していえば、「機に乗じた造反」といった方がより適切なのかも知れない。」
自分なりに搾取と抑圧を感じ取り、造反への意志をすでに隠していた人々も存在した。彼らにとって、文革とは「機に乗じた造反」だった、と言ってよい。


1966年10月。鄭義が注目するのはこの時期である、文革が開始された直後には、彼が見出そうとする「価値ある」運動が存在していた。しかしそれは成立から3ヶ月も経たないうちに「反動組織」として鎮圧され、リーダーは逮捕され、数十年の刑期を受けた。
例えば、「全紅総」という組織がそれだ。それは設立されて一ヶ月で「政府側の「全国総工会」の権限を奪い取り、その施設に進駐し、従来の「総工会」の権限すべてを接収して管理することになった。江青を始め毛派の代表的な人物たちは彼らを支持し、彼らのエネルギーを毛の政敵に向けさせようとした。しかし、すぐさま労働者たちは自らの利益のために戦っていることに気づいた。彼らは天安門広場で30万人のデモ行進を行い、公然と自分たちのスローガンを訴えた。中には「命をかけて一切の搾取制度を粉砕せよ」というものもあった。それは共産党専制への直接的な挑戦である。」


民主主義思想を有する多くの人士は、「民衆はパリ・コミューンを知っているが、三権分立など現代の民主思想をわきまえていない」と彼らを批判する。
しかし現在でも「三権分立など現代の民主思想」の常識的要求を行う勢力は中国国内では許されていない。*5したがって、自らが到達してない立場に経って彼らを批判するのはおかしいだろう。


「ほしいままに金を奪い取る共産党の高官たちは人民の血を吸い取る特権階級である」現在、それが事実であるとすれば、造反をすることの何がいけなかろう。


結論として鄭義は言う。

つまり文革の造反は毛と人民の相互利用であった。毛は意識的に人民の共産党に対する憎しみを利用し、矛先を彼の政敵に向けさせた。人民は無意識に毛の崇高な威信を利用し、一挙に共産党の大小官吏を打ち倒した。その後、毛はさらに軍隊を利用して人民を鎮圧し政敵を一掃して共産党を再建したのである。当然、毛は勝利者ではあるが、この失敗の中から、人民もまた自由を勝ち取る自らの偉大な力を見出すことができるのである。

 私は終始「二つの文革」があると考えている。即ち一つは毛沢東文革であり、もう一つは人民の文革である。
 時には簡略化することによってものの本質がよりはっきりと現れるのである。

以上が鄭義の「二つの文革」論の紹介です。私は彼の見解を支持したいと思う。


しかし問題は、いま何が問われており何を考えるべきなのか、その情況に対して文革をどう見るのかはどのような影響を与えるのかである。


中国嫌悪といった悪しき風潮から一線を画してなお、劉暁波問題やチベット問題などについて中国当局を人権の立場からまっすぐに批判する、そうした営為がなされないといけない。情況を私はこう捉える。
また、現代思想の知識を総動員して言葉たくみに結局中国の現体制を擁護する、汪暉(ワンフィ)や丸川一派も批判しなければならない。*6


文革の運動は暴力的であった。したがって文革を全否定することをためらうべきでない。そういう意見はまっとうに見える。
しかしながら、多少なりとも暴力的なイメージを伴うという理由によって、合法的な労働者のストライキも実施できない現在日本社会で、つまり可視的暴力を排除する余りに餓死に至る格差社会への進化が止まらないこの社会で、非暴力を原理化することが正しいのか。


文革の運動は暴力的だった、毛沢東の革命は暴力的だった、辛亥革命は暴力的だった、云々と考えてみれば、非暴力を原理として立てることが正しいのかは疑問である。


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20091209#p1 で劉暁波「現代中国知識人批判」を紹介した。「文革をもたらしたものは専制政治であり、その背後には「数千年の人治の伝統」がある。」支配者の専制を前提とし、結局「良い支配者」を希望することしかできない伝統に対して、「(人権といった)普遍」思想を導入することにより切断したいというヴィジョンである。
この理解は、文革=「皇帝の思し召しを奉じた造反」であり、「(主体的な政治意識を既に持っていた者たちによる)機に乗じた造反」という側面を評価しないものである。


しかし制度改正だけで、政治の変革が実現できるわけではない。民主主義であるはずの日本の不条理は、先日の野田総理発言が明白に示している。
たとえそれが希少なものであろうが、民衆のなかにあるまともな政治意識の種といったものに、私たちは注目しそれを伸ばしていこうとするしかないだろう。
多くの民衆の自発性を最大限に巻き込んだ運動である文革を、全否定するのではなく、何らかの〈種〉をそこに発見していくべきだと思う。

*1:1947年生 アマゾンのたった一つのレビューでは「広告帯には中国版「百年の孤独」とあるが、ぼくは「神樹」のほうが優れていると思う。「神樹」は構築された世界だし、登場人物の掘り下げが素晴らしい。幻想性も重厚さも劣らないし、なにより物語としての盛り上がりと緊迫感で、終盤一気に読ませてしまう。東洋人としての親しみもあるし、読みやすいのも良い」と絶賛しているが、私も同感だ。

*2:「機に乗じた造反 --文革勃発40周年によせて--」 雑誌『藍・BLUE』2006年第1期/総第21期 日本語部分p45 入手困難な雑誌だ。

*3:「脳の電源を切断され、口を封印されたこの民族にとって」同p45より。したがってこの民族とは中国人のことだが、日本人もそれを逃れていないと感じる。

*4:自伝的作品「中国の地の底で」でも触れられている

*5:2006年この文章が書かれた後、零八憲章が登場するが、当局に徹底的に弾圧された。

*6:汪暉(ワンフィ)の本読んでないので批判できないが。