松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

福島原発の詳細情報を公開せよ

認定特定非営利活動法人 原子力資料情報室さんが、日本政府に次のように申し入れている。

 私たちは、このような状況をふまえて、次の5点を申し入れます。


1、国内外の総力を結集して、事態の悪化を最小限に抑えるために、最大限の努力をしてください。


2、各原発の圧力容器や格納容器、燃料プールなどにおけるパラメータ(温度・圧力・水位など)をリアルタイムですべて公開してください。機器破損などにより測定できないパラメータがあればそのことも明らかにしてください。


3、発電所内の放射線レベルの情報が決定的に重要です。常設モニタを複数設置し、そのデータをオンラインで情報公開してください。また、発電所内の状況をリアルに把握するために、監視ビデオを複数設置し、常時情報公開してください。


4、福島県内外各地の放射線モニタリングポストのデータを集約し、放射能の強さと拡がりを把握し、さらにその予測シミュレーションを行い、結果を速やかに公開してください。


5、防災指針における予測線量の求め方など、現在行っている避難範囲設定の根拠を明らかにしてください。今後どのような予測や考え方にもとづいて避難範囲を設定するのか、明らかにしてください。


認定特定非営利活動法人 原子力資料情報室
http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1034

私はこの要求を支持したい。
ツイッターで次のように、引用をしたが、情報公開を要求する根拠になるだろう、と思うので転記する。

・人が考えることを妨げてはならない。あなたは必ず勝利するのだから。
・反対にあったら、それが家族からであっても、自分の権威ではなく議論によって克服するよう努力せよ。権威による勝利は幻想なのだから。(ラッセル) 
http://goo.gl/sNing

「あなたは必ず勝利するのだから。」というのは東洋人にはなかなか持てない感覚だ。むしろ屈原の時代から、東洋では知識人は必ず負けるという常識の方が強い。しかし議会制民主主義を採用する以上、議論を通じて正しい結論に到りうるという信念は必要なのだ、と私は思う。


http://bit.ly/dXfTo6 こちらのサイトでは小池良次という方が、東日本大地震を「アメリカがどう受け止めたかについて」書いておられる。

原子力発電所の問題は、情報開示に関する日本の保守的で誤った姿勢を浮き彫りにしている。日本では「十分な知識のない一般市民の混乱」を懸念して、完全な情報開示を危惧する声は多い。しかし、それは基本的に間違っている。今回のように、現場の状況把握が十分にできない場合では、→


→情報の取捨選択や開示範囲の判定は適切かつ効率的にできない。 完全な情報開示をおこなえば、当然、一般市民は専門的な用語や数値などに戸惑うことになるだろう。しかし、日本には多くの専門家がおり、多数のメディアが存在する。またインターネットによる市民間のコミュニティー通信も高度に発達。→


専門家やオピニオン・リーダーが、それぞれ多様な判断や予測を出す。 また、専門家同士の意見交換、激しい口論なども必要だろう。多様な意見を報道機関やインターネットで拡散することで、問題の明確化争点の集約、全体的な総意が形成されてゆく。
小池良次

やはり施政者としての根本がちょっと違っているのだ。
自分の知識の範囲で、コミュニティのすべてをコントロールできると考えるのは田舎の殿様の感覚だ。
自分の限られた能力で未知の脅威やそれ以外の不確定要因をなんとかしていこうという覚悟があるなら、情報を公開した方が結果的に上手くいく(かもしれない)という感覚も持つべきなのだ。
情報を隠すことで大衆を幸せにできると考えるのは、愚民観に基づく発想である。


原発安全神話原理主義と反原発派の対立という構図で考えるなら、東電や日本政府は前者の立場に立っている。原発安全神話原理主義者たちは、以前からラッセルとは違い、自己の議論における勝利を信じていなかった。情報の隠蔽、情報の歪曲などを事としていた。今までは大事故はおこっていなかったのになぜなのだろう。原発推進は国民の自由な選択の結果というよりも、原発推進勢力という不透明な利権集団(あまりにも巨大な)と国家との癒着によるものだったのではないか。したがって情報公開に基づく自由な議論など頭から排除されるべきものとされた。


このような事態に至った以上、不透明な原発推進勢力の支配は終わらせなければならない。原子力資料情報室からの要求は当然の要求である。そして当然の要求が当然でないかのように感じられる常識を作ってきた不透明な原発推進勢力の長い長い支配は終わらなければならない。