松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

三宅洋平・チャランケの発見

 7/13日、三宅洋平が神戸に来るから見にこないかと誘われたけど、それが誰か分からず行かなかった。「緑の党」と「みどりの風」を間違えて、激しくバカにされたので、三宅洋平ググると動画がでてきたんで見てみた。
 http://www.youtube.com/watch?v=bATfeXuNibA  【2013.07.09】 三宅洋平選挙フェス@沖縄
 「ヤーマン!」と元気良く言って彼は語り始めようとするが、突然「泣かされちゃった」と意味不明のことを言って流れが変わる。(http://in-the-eyes-of-etranger.blogspot.jp/2013/07/20130709.html?spref=tw )


 私が一番最初に見たのもこのサイトなので、この書下ろしを利用させてもらう。
1、最初のテーマは
「600万円も国に預けないと 選挙出して貰えないっていう「世界で一番金持ちしか選挙に出れない国・日本」このシステムを皆に見せたくてさ だから 俺が立候補することを通して 日本の選挙システムの色んな矛盾を 皆に一緒に体感して貰いたいってのが―― 俺の最初の目的だったんだよね」
 日本は民主主義の国だと、しかし選挙は私にとって常に他人のものだった。予め疎外された制度であり、そこに自らの情熱を賭けることは愚かな、そこまでは言わないまでも自分には無縁の行為だった。年をとると知人の立候補とかも増える。立候補するのは良いことだ。私も共感できる目的のために自らの人生を賭ける私には到底出来ない立派な行為だ。


 私が一貫して嫌いなのは「選挙にいくべきだ」という言説である。民主主義である以上、国民は政治意識を持ち政治参加すべきである。しかしそれを飛ばして、例えば原発やTPPについて何の意見も持ってない人も選挙に参加すべきだと言う。それは民主主義という建前を守るための行為でしかない。「選挙に勝利した瞬間、主権は選ぶものから選ばれた者に移動する、文句があれば次の選挙で勝って見せろ」、と橋下徹は言った。このような真実を明らかにした橋下に対して、それが自分の気に入らない真実であるからといって否定したがるのは、正しい態度ではない。


2、この動画でびっくりするのは彼の服装である。汚いTシャツに短パン、ぞうりといった本当にそこらへんのあんちゃんといったかっこうで彼は公式の選挙演説を始める。
「「スーツ着ないとどうなんじゃないか」とか、「ヒゲ剃らないとどうなんじゃないか」の前に、 俺は皆が皆で・・・ 俺は俺のままであれる社会をつくりたいわけ  なんでさ 自分を“成形”しなきゃいけないの?スーツとか  それはさ ちょっと何か後ろめたいものがある人なんだよ  俺からしたら」
 正しさという後ろだけの上に立ち正しいという立場を保ち続けなければならない人が、スーツを着る。日本がこれだけ息苦しい社会になったのは、小役人ではないのに小役人のようなしゃべり方、振舞い方、服装をすることが当たり前になってしまったからだ。

 
3、彼の言葉で一番気に入っているのは、日本で一番「注文の多い候補者」というフレーズだ。


「それがね 俺は日本の民衆が 政治家に 何かを期待しちゃってたっていうことの 意識の典型的な現れだと思ってるの

自分は何もしないで 政治家に あーしろこーしろ なんだおまえその格好は とか云って かなり上手(うわて)だよ 民主主義はそれじゃ絶対成り立たないと思う」

「だから よく・・・有り体の言葉だけどさ
『世界を変えるには自分から変われ』って
その意識をマジで持って」


選挙期間中だけは、有権者は候補者より上に居る。有権者に候補者はお願いする。しかしその構図が真実であるなら、選挙期間外は、有権者は議員より下に居て、議員が決めた法律に従わなければならない。選挙とは、権力を追認し絶対的権威を与えるための儀式にしかすぎない。
そうであることを批判する生き方をすることは、ある意味容易にできる。主体性をもって社会と関わり、おかしいと思ったことは素直に口に出し、差し伸べるべきだと思った手(善意)は素直に差し伸べるだけだ。(もちろん、容易だけではすまない局面もでてくるがそれは次のステップの話。)


というわけで、三宅洋平の選挙活動(選挙MCとも言うらしい。MCとは*1)の動画は膨大にネットにあがっている。
例:http://www.youtube.com/watch?v=aDT7jeWRXQA
ちょっとながめてみて欲しい。


[緑の党 三宅洋平 2013/7/5 某老人との伝説のリアルちゃらんけ] も面白い。
http://in-the-eyes-of-etranger.blogspot.jp/2013/07/201375.html


賢い人に限って、批判が得意である。しかし「今までの自己」を守るための批判であることも多いことに正確に気付けるひとはまれである。

異論

小手先でディスってるだけだが、だが自分と違ういけんという点で参考にはなる。
http://blogos.com/article/66765/
「本気」に「感動」して支持してしまう有権者たち

*

前回の衆院選に続いて今回も福島を含め、数多くの原発立地地元で自民が圧勝した。殆ど争点にならなかったが、自民党が再稼働を進め、311以前の原発状況に時計の針を戻そうとしていることを立地地元住民が知らずに投票したわけではない。自民を勝たせるしか選択肢がなかった立地地元の現実を踏まえ、彼らにそうではない選択が可能となる状況を提供することを目指さなければ、山本の脱原発論は被爆の不安に駆られて情緒的に盛り上がった都市部の脱原発運動の中でしか通用しない独りよがりのものに留まる。
http://www.huffingtonpost.jp/tooru-takeda/post_5251_b_3632881.html?utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=false

 今も放射能を垂れ流している原子炉の崩壊の責任を取る事無く、責任回避だけを自己の仕事だと信じて生きている東京電力の人々を守る勢力を追求できない馬鹿の集団、日本人とはそうした集団ではないのか。日本の原発推進勢力が長年かかって作り上げてきた体制の矛盾を解決する責任を山本太郎一人に押し付けた上で、太郎には能力がないと結論つける。ひどい文章だ。

*1:1.司会、司会者、番組進行役(英: master of ceremonies, master of ceremony)のこと。転じて、コンサートなどで、演奏の合間に演奏者が話をすること、またはその時間。 2.MC (ヒップホップ) - ヒップホップミュージックにおいて、トラックにのせて、あるいはアカペラで語尾が近い言葉や、語感が似ている言葉で韻を踏んだ歌詞をラップする者。マイクロフォン・コントローラー。とWiki