松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

検察は国政に影響を与えすぎ

現在、検察がある問題をネタに国政に大きな影響力を及ぼしつづけている。
私は石川知裕逮捕は不当だと思うがそうではないとしても、検察は本来自分の領分ではない国政になるべく影響を与えないやり方で自分の仕事をなすべきだ。検察のやっていることはまるで逆でマスコミによる大衆操作である。これは石川知裕逮捕が仮に正しいとしても、ある種のファシズムであり、認めることができない。


だいたい日本人*1には、正義というものを政府機関が実現してくれる、といった考えがあるみたいだが、それはいったいどういう思想だろう!? バカとしか言いようがない。正義/不正義というものに直面し苦しんだことがない傍観者の思想か。傍観者というよりお客様の思想、お客様には自分の悪や無知が存在しないという間違った前提があるのですべてが間違って認識される。


「日本の政党政治が瀬戸際にあること」を認識すべき、と山口二郎教授(政治学)は説く。そうかもしれないしそうでないかもしれない。しかしそれより大きな問題は、検察というたかだか一つの国家機関(国家機関は限定された目的のためだけに存在する)が、国政に影響を及ぼしてしまうことが、「現在の常識」においておかしいと思われていないということである。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/21bf8770c1549f85ca8469c4f7018c94 を読んで

参考1

 未熟な国民にデマを刷り込む役目を果たしてきたのがメディアである。メディアの幼児性は今では目を覆うばかりだが、官僚との二人三脚でこの国の未熟政治を作り上げてきた。その挙げ句に実は両者とも自らの首を絞めつつある。最近出版された「知事抹殺・つくられた福島県汚職事件」や「リクルート事件江副浩正の真実」は検察の「でっち上げ」の手法を詳細に描きながら、それを可能にしているのがメディアであることを明らかにした。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_205.html#more

*1:何割かの