松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

岡野八代氏からの引用

岡野八代さんについては、私は過去ずいぶん引用〜論じたりしているのでした!!

が、おおむね忘れていた(あらまあ)・・・


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20101202#p1
バトラーと在日


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070519#p1
安全で無垢な<わたし> 『法の政治学


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050924#p1
応答可能性と政治的正義  『法の政治学


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050918
あたしesは「われわれ」を選択する  『法の政治学


『法の政治学』の第三章「<わたし>の自由と<われわれ>の責任」については
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050310 で触れました。


『法の政治学』第五章 遅れる正義/暴力のあとで については下記で、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050119#p4


『法の政治学』第四章 暴力・言葉・世界について に下記で触れました。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050312#p4
そこにいる/そこにいない慰安婦


他者はどこにいるのか?問題については、下記も読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050312#p1
世界のじくじくした縁(へり)


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040905#p1
象徴天皇制の終わり


最後に、菊地夏野氏の『法の政治学』書評の一部を引用しておきます。

  最後の第六章「正義はどこまで可能か」は、二〇〇一年三月に関釜裁判に対して広島高裁が、従軍<慰安婦>にされた女性たちの訴えを「道義的責任はあるが法的責任はない」として却下したことから問いが立てられる。(略)
  おそらく、著者の根本的な問いは、西洋政治思想に対する根源的な批判を必要とするのだと思う。そしてそれはもちろん著者にのみ突きつけられたものではない。
http://www.arsvi.com/2000/031200kn.htm