松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

広義の日本人こそが、皇国に反逆した

mstil 歴史認識, はてな 「広義の日本」なんて普通に「侵略」だろ(弁当さん自身も認めているように)。植民地にされた国で宗主国に同化しようとする人間が出てくる傾向は、近代における侵略の歴史では常識。言葉で繕うのやめようよ。 2009/04/18

「植民地にされた国」、その考えは、実は、侵略する/侵略されるの前提にその二項の実体として国家を措定していることになるのだけど、そうした国家は実は近代化のプロセスのなかで相互に生成されたものなのですよ。

(後に独立する)その国家が実は(植民地化)近代化のプロセスのなかで生成されたものというのは確かだが。植民地にされたエリア(いまだ国家をもてないもの)が、圧倒的に理不尽な抑圧を受けたのは事実。(今回のガザのように、という比喩は間違っているとは思えない) それをあくまで回避しようとするfinalventさんはやはりネトウヨに過ぎない。*1

 現代の史学だと、どうしても日本というのについて、現在の日本の領域をなんとなく近代以前にフィードバックさせてそこからの拡張部分を侵略と見る。確かに侵略なんだけど、近代化という意味での日本を原点とする浸潤的な、滑らかな動きがあり、孫文だの新垣弓太郎などを生み出していく。そして、もうちょっと踏み出していうと、おそらくコミンテルン的なものも広義のアジア的な近代化でもあっただろうとは思う。それらが、ある空隙にあったとき、これらの虐殺が起きているのだが。がというのは、ここが今の日本人ではわかりづらいのだけど、ここで虐殺された十数万人の人は、ある意味の広義と曖昧になるけどという限定で日本人でもあった。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166

 わたしの部屋にはなぜか台湾の228記念館のポスターが貼ってあるのだが、228事件参加者の墨で書かれた遺書を画面下部に引用している。

三月二四日
     遺書
       顧尚泰 
 最愛なる我妻 美智子へ
台湾新生のため 俺は雄々しく散る
(略)

 50年に及ぶ日本統治時代、近代的な思潮や生活習慣はすべて日本(日本語)を通して来た。文学やナショナリズムもそうだ。だから彼らの日本語で書かれた文芸雑誌は(おそらく短期間のうちに)台湾独立的思考に満たされることになる。228事件に決起した(せざるをえないと思いつめた)人々は大半がそうした人々であったのだ。
 228事件に決起した青年たちは日本語で表現するだけでなく日本語で思考していた。で彼らが228事件で死に至ったのは偶然に過ぎない。彼らはむしろ(どうせ死ななければならないのなら)独立のために日本軍と戦って死にたいと思っていたと考えてみる必要があるのだ。
日本語で表現するだけでなく日本語で思考していた彼らを「ある意味における日本人」と表現するのは不当とは思わない。「植民地にされた国で宗主国に同化しようとする人間が出てくる」という意見は、人間存在・文化の広大な領域を無視して政治的振る舞いにだけ焦点を当てているので一面的だ。


ところで、沖縄戦。「広義に日本人化させらたところでその日本人は日本の空隙において虐殺されている」とはどういうことなのだろう?その日本人は日本の(皇軍の)過剰において虐殺されている、としか記述しえないだろうが。

*1:「冗談はさておき、そして人を呼び捨てにするのは私の礼儀ではないので」とfinalvent氏からコメントが来たので、さん付けに訂正する。失礼した。4/19 12:28