松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

アウシュヴィッツの喪を組織させてはならない!

デリダアウシュヴィッツについて何を言っているか。デリダのリオタール追悼文*1にはアウシュヴィッツという語が何度も出てくる。


「しかし、イスラエルの建国以前にアウシュヴィッツで被った不当な被害の実在性は、立証されなければならないものであったし、現在でもそうである。ところが、合意によって立証されないのが不当な被害の本質である以上、この実在性は立証されない。(リオタール)」*2
世界の片隅で誰からも見捨てられた死があったなら、わたしは他の犠牲者に寄り添おうとするより、その1個の死に近づきその傍らに立ち尽くすべきではないだろうか。この問はおそらくキリスト教的であるがそれを超えた普遍性を持つと思う。世界の片隅で誰からも見捨てられた死というものは実際に存在する。しかし定義により、それにわたしが近づくことはできない。したがってその「被害の実在性」を法的あるいは政治的に立証することはできない。
アウシュヴィッツとはすぐれて、政治的あるいは歴史修正主義に関わる語である。その限りで「立証することはできない」はタブーである。それはデリダも認めているのだ*3。だが、アウシュヴィッツの本質をそうした言説領域においてしまうのは違うのだ、本質は端的に〈不可能性〉にある。とリオタール(とデリダ)は言うのだ。

生き残った人々はイスラエルを建国することで不当な被害を損害に、抗争を係争に転換し、国際法定や権威づけられた政治という共通の固有言語の中で語ることで、自分たちに課せられていた沈黙に終止符を打った。(リオタール)p233

イスラエル この名を担う国家。しかし、この名は、真実ーーすなわち共通の固有言語の不在と、被害を損害に言い換えることの不可能性ーーを隠蔽してしまう無理解をも意味してしまうだろう。p233

リオタールは「アウシュヴィッツ」と「イスラエル」のあいだの戦い、さらには両者の決裂について、喪を名指すことなくわたしたちに語ってくれた。そこから出発して、敢えて喪に関する以下のような仮説を提示してみよう。まるでイスラエルが補償すべき損害を明らかにし、不当な被害を損害に、抗争を係争に言い換えることができると信じながら、喪を執り行おうとしているかのようだが、それは不可能なままである。イスラエル国家とは、喪がいかなる意味も持たないアウシュヴィッツの喪を意味しようとしたものなのかもしれない。p232

 何度も同じことを言っている。イスラエルは「喪」というものを政治的に実現するために、ある実在、国家を手に入れようと暴力的に足掻きつづけついにそれを手に入れてしまった。
「1948年、400以上もの村々が消滅、廃墟となった。」デリダももっと率直にそう言えば良いのに、あくまで〈不可能性〉と、「喪を組織すること」との対立という構図を立てる。
しかしその構図においてはデリダ(リオタールも)の立場ははっきりしている。「喪を組織すること」「喪を国家として組織してしまうこと」には反対している。


で、このデリダの短くない文章は「喪は存在しないだろう」という謎めいた言葉の回りをぐるぐる回る。
ところで喪(も)とは何か? 英語でmourning、仏語でdeuil。辞書を引くと、 喪の悲しみ、哀悼、近親の死、悲嘆、大きな悲しみといった意味になっている。近親や親友の死に出会えばひとは自己の大きな部分を失ったように戸惑い絶望してしまう。それほど近しくない人の死はどうか。であったとしてもそこで失われたものはやはりひとつの絶対性である。おろそかにはできない。といっても世界では近くはともかく遠くでは人は死につづけており無関係な他者には哀悼も捧げない。死は容易な問題ではないが、この文章の主題はそこにはない。

喪を耐えること、とりわけ喪を組織することは、命令や願い(死ね、死んでしまえ、死んだままでいろ、…)を裏付ける危険性を常に孕んでいる。p234同書


考えてみれば、わたしたちの国家には建国記念日はない*4。そうではなく8・15の追悼式典が私たちの国家の原点になっている。わたしたちの国家もまた喪を組織することによって裏付けられているのだ。

*1:「リオタールと私たち」p189〜p244 isbn:4000237128

*2:同書p233

*3:東とは違う。

*4:あれ?