松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

田中希生という歴史忘却主義者

http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/52.html
この文章を私は、悪質な歴史忘却主義言説であると判断する。*1

フロイトの研究した戦争神経症の事例は、この「忘却の穴」を、穴の最奥の暗闇から逆照射するように思われる。というのも、彼らのような患者が恐れているのは、なにより、忘れることだからである。
http://www.fragment-group.com/kiotanaka/criticism/52.html

単純に、戦争神経症患者は戦争の記憶から解放されることを願っている。ただそれが叶えられないから苦しんでいるだけだ。

いまだそののさなかにいて、あるいはその経験の記憶に囚われているひとは、もしできうることなら、なかったことにしたいに違いないし、その記憶をアーレントの言う「忘却の穴」にでも放り込みたいところだろう。

戦争犯罪者はその体験(経験ではない)をなかったことにしたい。

いや、むしろ、根本的な治癒とは、この忘却のことを言うのであり、意図せざる結果だとしても、かえって、歴史修正主義者は、歴史主義者よりもよき精神分析医である可能性がある。

田中の言説が最初から歴史修正主義者を救うことを目的としてきただけである。
大虐殺という歴史的事件があった。それを田中はPTSDを引き起こすある個人にとっての心理的事件に還元する。

歴史主義者は被害者に向かって言うのだ、善人の顔をして言うのだ、あなたは、人類のためにホロコーストの記憶を忘れるべきではないし、それを白日の下にさらして国家主義者どもを糾弾すべきなのだ、と。わたしが代弁してもいい、とにかくわたしにその恐ろしい経験を語ってくれたまえ、なぜなら、あなたが正気を失うようなその恐ろしい記憶は、事実なのだから……。

ホロコーストの記憶は、田中によって、被害者にPTSDをよびおこすものと形象される。
このようにして、大虐殺という歴史的事件を歴史として直視していこうとする営みを、加害者にPTSDを突きつける行為であると翻訳する。

無時間的かつ断片的に記憶が蓄えられた層とは、まさに世界中にばら撒かれ(=《散種》され)、無方向的に蓄積されている資料群に対応しているのであり、歴史学者の仕事は、それらを時系列的に整合し、意識的なものにする(=再現前化[リプリゼンテイト]する)記憶の層に対応していると考えられる。

歴史学者以前に、国家やマスコミは事件や記憶を、ある傾向に染め上げて(国民の物語に)報道し蓄積する。田中はそれについては一切批判しない。

わたしたちは、なぜ、ホロコーストの死を重視するのだろうか。それはもちろん、思い出すことができるからである。

 田中はアウシュビッツをなめている!
思い出すことができるかぎりのアウシュビッツなど、アウシュビッツの本質ではない。原爆記念館のヒロシマが、ヒロシマと呼ばれる惨事と同質のものだとでもいうのだろうか。

野原燐は田中希生さんを

田中和生さんという人とどこかで混同していた可能性がある。(どちらの方についてもほとんど知らないのだ。)
半端な伝聞、聞き間違い、仲間意識による批判であれば、強く自己批判すべきであろう。
ただ上記の文章は、テキストに即してのものなので、「悪質な歴史忘却主義言説」という形容詞は、撤回しない。考えつづける。
なお、田中 希生 1976年05月生。 http://read.jst.go.jp/public/cs_ksh_007EventAction.do?action4=event&lang_act4=J&judge_act4=2&knkysh_name_code=5000053074
田中 和生(たなか かずお、1974年8月4日 - )は、日本の文芸評論家。
なので別人なのは間違いない。
(12/30記)

記憶を統整しようとする者との戦い

デリダは《散種》ということを言った。記憶(記録という方が正確だしこの場合はこの区別がとても重要だ)をばら撒くのだ、もっと無数の痕跡があることを思い知らせるのだ、と。それは、記憶を統整しようとする歴史家に対する抵抗であり、記憶に対して忘却の地位を逆転させることなのだ。重要なことは、ばら撒かれた《痕跡》ではなく、それをばら撒く《散種》なのだ。(同上)

記憶を統整しようとする巨大な力と本気で戦う意志があるのなら、日本において、その最大の勢力が「大虐殺なかった派」(といったもの)であることを知るべきである。統整の方法が、ヨーロッパとはあまりにも違うので分かり難いかもしれないが。
散種とは「ロゴスの父に回帰することなく、絶対に限定不可能な仕方で無限の他化へと開かれた言語の経験、他者への留保なき贈与であるような言語の経験」といったものであるようだ。*2
まあ言ってしまえば、ロゴスの父なき地*3で、同じことを言っても、ずぶずぶの本覚主義者*4にしてやられるだけである。

「痕跡」のない死者の存在をどう語るか

わたしは確信しているが、なんの「痕跡」も残さずに死んでいく人々はたくさんいる。彼らは、(略)、だからといって、存在していないことにはけっしてならない。(略)ホロコーストによって、「痕跡」を残して死んだ人間だけが、死んだ人間なのではない。
http://d.hatena.ne.jp/vir_actuel/20070516/1179313803

「「痕跡」も残さずに死んでいく人々はたくさんいる。」という命題を田中はどういうレベルで言表可能なのだろうか?

 彼らは隠れながら存在していて、だから、歴史には現れないが、にもかかわらず、《現われない》ということにおいて、存在していることを、わたしは知っている。なぜだろうか? そんなにむずかしいことではない。誰でも、想像することができるだろう。というか、想像する前に、わたしたちはすでにそういうことを経験して、覚えているのだ。呼びかければ必ずそれに答えるような、そんな応答責任を果す人間ばかりがいるわけではない。呼びかけが空虚に消え去る時、ひとは呼びかけた他人というよりは、むしろ自身の不在を痛感する。だから悲しむのだ。だが、にもかかわらず、わたしは悲しみに塗れて存在している。この手の悲しみはむしろ生涯の伴侶というべきであって、(略)こういう記憶があれば、たとえ「痕跡」を残せずとも存在した死人がいることは、すぐに想像できるはずだ。
http://d.hatena.ne.jp/vir_actuel/20070516/1179313803

 美しい文章だがだまされてはいけない。この「痕跡を残していない死者」は単に歴史に何の痕跡を残していない死者にすぎない。田中がどうした事情で彼/女に呼びかけるか不明だが、何かがありそれによって田中は呼びかける。その何かはデリダ的には痕跡ではないのか。そんなことはない。
「「痕跡」も残さずに死んでいく人々はたくさんいる。」のは事実である。*5そのような人たちへの(不明確な)思いをどのようにしても大事にすべきだ、と田中が言うのなら、私も同意しよう。しかし膨大な「すでに「痕跡」を残さずに人々」の過半は、田中の美しい心情とはまったく無縁のところに存在/非在しているのは、いうまでもない。

*1:これは2006年5月の文章なので、東「論争」と直接関係ない。だから「悪質」まで言う必要はないのですが。まあそういう方向性で読んだということです。

*2:http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~fujikawa/03/gr/jd/derrida03.htm

*3:いつでもというわけではない

*4:草木有仏性とする天台本覚醒思想。田母神までは距離がありすぎるが・・・

*5:そう語るのは野原の決断しかないと追求されれば論争の結果そうなるかもしれないが。