死者の記憶と想像の共同体
ミシュレ、1798年生の歴史家。ベネディクト・アンダーソンは彼を、「きわめて自覚的に死者に代わって書いた最初の人物」と紹介している。
そう、死者のひとりひとりがささやかな財産、つまりその記憶を遺し、それを大切にするよう求めている。友人のないひとのためには、司法官がその世話をしなければならない。なぜなら、法律、そして正義は、我々の忘れやすい優しさ、我々のすぐに乾いてしまう涙より確かなものだからである。そして司法官の職務は〈歴史〉である。死者とは、ローマ法の用語を使えば、司法官が名誉にかけて気遣わなばならない憐レムベキ人である。私は生涯ただ一度もこの歴史家の義務を見失ったことはない。私はあまりにも忘れられた多くの死者たちにやがていつの日か私自身が必要とされるであろう助力を与えてきた。私は〔かれらに〕第二の生を与えるため、かれらを掘り起こしてきた。(中略)かれらはいま我々とともに生きており、我々はいま自分たちを彼らの身内、かれらの友人と感じている。こうして、家族が、生者たちと死者たちの共有する都が創られる。*1
死者と言っても、無残に殺された死者もいれば栄耀栄華を極めた者も死ぬという意味での死者もいる。ミシュレが言っているのは明らかに前者、彼自身が掘り起こすことがなければ忘れ去られてしまうような死者を意味する。
これらの人々は、歴史をとおして、その犠牲によって1789年の断絶とフランス国民の自覚的登場を可能にした人たちだり、それは犠牲者たちがみずからの犠牲をそのように理解していないときにおいてすらそうだった。*2
ミシュレは「ロマン主義史学の代表者で、民衆を愛し、フランス革命の精神を擁護」とされる。民衆とかフランス革命とかいう大文字の価値を打ち立てる物語を成立させるために、死者を登場させてしまうのだ、という批判はありうる。
ただここではあくまで、ミシュレがいなければ忘れ去られたかもしれないものをミシュレが力強く肯定し表現していったのだという点を強調したい。
というのはわたしたちには、忘却の縁にいるが故に、哀悼し(力強く肯定し表現し)ていかなければならない多くの死者がいるからだ。
ここで取り上げたいのは、ある死者、ある中国人青年、青年といっても17歳ととても若くして死んでしまった一人についてだ。蒋捷連。彼については、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20101007#p1 以下で取り上げた。
天安門事件で子供や身内を殺傷された女性を中心に組織された人権擁護団体「天安門の母たち」を創設し、天安門事件の真相究明を粘り強く続け「天安門の母」と呼ばれている丁子霖(蒋捷連の母)。ノーベル賞の劉暁波の妻劉霞さんと同じく、国内外のジャーナリストだけでなく友人とすらも会えない軟禁状態に置かれている、彼女は現在。中国政府によって。
たった一人の死者の記憶は、巨大な中国政府が圧倒的な抑圧を掛けてくることによって、かえって、大きく成長していく。
天安門事件は20年も前の事件なので、中国政府がもっと緩やかな対応を取りさえすれば、過去として徐々に忘れられていったであろう。現在の日本で樺美智子を思い出す人がほとんどいないように。しかしそうできない理由があり、それを強く抑圧すればするほど、その記憶が人々を〈想像の共和国〉に導く可能性は強くなっていく。*3
十七歳は路で倒れた
路はそれきり消えてしまった
泥土に永眠する十七歳は
書物のように安らかだ
十七歳は生を受けた世界に
何の未練もない
純白で傷のない年齢の他には
(劉暁波)
「十七歳は呼吸が停止したとき 奇跡的に絶望していなかった」
と劉暁波は語る。監獄でまだ十年も生きなければならない劉暁波もまた奇跡的に絶望していないように見える。なぜか?
ミシュレと同じように劉暁波は、彼の表現(彼に第二の生を与えるため、かれらを掘り起こすこと)が、〈想像の共和国〉建設に直接につながっていると信じているからだ。
1930年代、さまざまの国籍を持つ人々がイベリア半島に行って戦った。それはこれらの人々がイベリア半島を、世界的、歴史的な力と大義を賭けた戦いの舞台と見たからだった。(略)
しかし、国家の周辺では、「スペイン」市民戦争の「記憶」がすでに姿を現しつつあった。そしてこの「記憶」は、あの悪賢い独裁者が死に、それに続いて驚くほど順調にブルジョワ民主主義への移行が行われたあと(そしてこの移行においてこの「記憶」は決定的役割を果たした)、ついに公式のものとなった。*4
スペイン市民戦争の「記憶」が一つの独裁国家を崩壊に導いたように、天安門の「記憶」も将来を獲得するだろう。*5
蒋捷連はたった一人の青年にすぎない。しかしかれを通して天安門の「記憶」に至ることはできる。
劉暁波が語るように、奇跡的にみえようと、絶望は正しい判断ではない。私は〈想像の共和国〉について語る。明日、それはあなたの言葉にもなるだろう。