「過去の克服」とプロパガンダの差異
hokusyuさんからコメントいただいた。
hokusyuさんは、id:hokusyu:20090318 、コメント欄、および20090323と、論じて(主にzames_makiさんを相手に)こられ、その流れでうちにも来られたようだ。
わたしの現在の問題意識は、ホロコーストの対象とは何か?を確定させずに、現在まで来たということ自体がとてもおかしなことのように思えるという点にあります。
もう一度最初からおさらいします。
(1)
ホロコースト犠牲者数は何人か?というとWikipediaでは、600万人と900〜1100万人という二つの数字があがっている。前者(A)は殺害されたユダヤ人の数。後者は、それ以外のロマ人、スラブ民族(特に戦争捕虜)、共産主義者、ポーランド人、身体障害者、同性愛者など(B)を含めた数である。
数の問題はひとまず置くと、少なくとも二種類の犠牲者がいたわけである。
「ホロコーストとは、狭義には第二次世界大戦中にヒトラー率いるナチス政権下のドイツおよび、その占領地域においてユダヤ人などに対して組織的かつ意図的に行われたとされる大量殺戮を指す。」というのが、日本語版Wikipediaの定義です。これは(A)+(B)です。
(2)lovelovedog氏は、
「 Most scholars, however, define the Holocaust as a genocide of European Jewry alone,[4] 」という文章を引き、
英語版Wikipediaでは、(B)を含めない(A)だけが、ホロコーストの犠牲者として定義されていると指摘しました。
(3)
一体、ホロコーストとはどちらを指す言葉なのか?
(4)
あいまいなまま使用しつづける場合、忘れられたまま殺されていったたくさんの人々(B)の隠蔽に加担することになってしまいます。
さて、ロマやポーランド人の虐殺が、ホロコーストに比べて圧倒的に参照されていないのはなぜかという問題ですが、これは悪しき商業主義のせいとしか申し上げられません。ユダヤ人600万人、それも「人種思想」の標的の中心であったというインパクトは、資本主義的にはロマ50万人などよりも残念ながら大きいのです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090323
わたしたちが問題にすべきなのは、私たちが現在置かれている認識空間がどのような歪みを持っているのか?ということです。それを、「悪しき商業主義のせい」でかたずけて可、というのはポスコロ、カルスタの学的成果を無視して良いと言っていることになりますね。
(5)
アウシュヴィッツにおける犠牲者は、150万以上といわれていますが、そのほとんどは収容すらされる列車からガス室へと、右から左へ殺されていったのです。そしてその圧倒的多数はユダヤ人でした。ソ連兵捕虜などが多く含まれるアウシュヴィッツにおける数万人の収容者は、死体の処理、設備の建設や強制労働のために生かされていました。もっとも、そのほとんどは結局殺害されるのですが。
以上により、(1)(2)はどちらも間違いです。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090322#c1237797707
(1)は間違いとは、「ホロコーストの対象はユダヤ人である。」つまり(A)だけ説。この場合は、日本語版Wikipediaの定義は批判されるべきということになりますね?
「以上により、」がどういう論理なのかは分かりませんでした。
さて、
「ホロコースト」放映は1978年ですが、それ以前の、1950年代〜60年代のドイツにおいては、「ホロコースト」は忘れたい過去として、あまり触れてほしくないものでした。しかし、ブラント政権の成立、あるいは戦後世代(68世代)の成長などにより、政治的にも、「過去の克服」が一気に加速しました。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090323
70年代以降のドイツにおける「過去の克服」の努力についてはよくは知らないのですが敬意を表するにやぶさかではありません。
いっぽうで、現在のような米国からイスラエルに対する巨額の援助(軍事援助を含む)は1967年6月の「六日間戦争」顕著になったものです。「イスラエルを滅ぼしてはならないという恐怖心」は滅びる恐れが無くなった後で米国で燃え上がったのです。
この二つの流れを共に認識するのは困難なことではなく、必要なことです。
つまり、イスラエルは中東でアメリカの代理国家となったし、「ホロコースト」は米国とイスラエルの軍事同盟化を正当化するうえで好都合の道徳感情を誘発する刺激として利用できたわけだった。イスラエルは米国の価観を守る“盾”として利用できた。
http://asyura2.com/sora/bd12/msg/526.html
イラク戦争にあたってマスコミから垂れ流された多量かつ多様なプロパガンダを考えるとき*1、数十年に渡るイスラエル支持を維持するためには膨大なプロパガンダ努力がおしみなくつぎこまれたと考えることは妥当な推測です。
「ドイツの「過去の克服」問題について、つまり研究者や被害者たちがホロコーストの記憶化のためにいかに努力してきたか、」は、プロパガンダとは区別することができます。
「ホロコーストは、他の同様の事件と同じように語ることを許されぬ「唯一無比」のものだ」と語る言説は、プロパガンダである、と判断してもよいのではないでしょうか?
(上記「プロパガンダ」と「唯一無比」という言葉の使いかたについて、 http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20090325 と http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090324#c1237905987 で批判いただいた。批判者とわたしのこの問題の現状についての認識にはさほど違いはないようだ。ただこのような点には神経質であるべきだというPC感覚なのか。遅くなったが下記で回答した。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090405#p2
4/5付記)
*1:例「イラク軍がクウェートの保育器を壊した、という嘘」http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20090322/holo