松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

情況から自己を分離できない存在

 そして七年後、人間のいない戦場で絶望的な闘いをしている青年のもらす言葉を聞いて理解できる人は禍なるかな。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 この文でつまづいてしまった。
 人間のいない戦場とは何だろう。これはおそらく19世紀以前のテキストでSFではないので、人間以外の異星人と戦っているわけではない。青年自身人間であるはずだというツッコミはしないことにして、さて。何かを守るために別の何かと闘っている青年が言葉をもらす。その言葉を理解できる人が存在するがその人は「禍」として忌避されるべきだ、とテキストは言っている。理解とは何か?「人間のいない戦場で絶望的な闘いをしている」という情況から自己を分離できない存在に対して、他の場所にいる者が、情況と自己との抜き差しならぬ関係というものを抜きにして、言葉だけで理解してしまえるという安易さ、あるいは傲慢さが非難されているのであろう。ある困難があったとき古くは神学者(僧侶)、今では大学から専門家と称する人が登場し「理解できる」という前提で何か言い始める。情況から自己を分離できないというそのことこそが困難であり、そのこと抜きに困難を論じても無意味なのに。

 ところでこの文章にはなぜ青年がでてくるのだろう。わたしの近しい二人暮らしの老夫婦の一方は認知症になり他方もその対応に疲れ酒に溺れている。長生きすればかなりの確率でそうした〈情況〉に突入する。抜け出せず操作できない情況。敵を措定することもできない。「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」闘争とは何か?

 24時間が無意味に費やされる。でもそういうことはないはずだ。私は確かに囚われているが囚われているという意識を変容させれば、情況の別の面が見えてくるはずだ。