松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ことばの私有制を変革する

 私は、さきほど、歯の痛み程度のことでも、全情況の課題と優に対抗しうることを発見した。そうであるとすれば、私は、この文章の方向係数となっている不確定性をかみしめながらことばの私有制を変革し、ことばのむこうへはみだし、〈……〉論の枠を突破するであろうし、そこが不確定性の原理を真に応用する世界であると予断しておきたい。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」 というテーゼの直前の形態。http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm
 世界は言葉で構成されている。権力関係も。したがって慣習に反することを恐れさえしなければ世界は容易にその像を変える。ことばの私有制とは何だろうか?自己が規制され主体化された限定を進んで受け入れていることにすぎない。
 試験の答案を一片の詩として読んでしまうことはそれほど困難なことではない。アルバイト先で取引先としてであった人物と恋をするのと同じくらいありふれたことだ。そうであろうとする欲望を否定せずそれを方法として純化し、ある特殊な気圧の薄さに耐えることができれば、わたしたちは新しい世界に歩み込んでいるのだ・・・