松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

全体性や他者の活動を包括するようにしなければならないし

この予断が、既成の表現形式から制約されるのではなく、創り出すように、方法的に孤立して収束するのではなく、全体性や他者の活動を包括するようにしなければならないし、その一歩は踏み出されている。まさに、そのために、ここで筆をおこうと私は決意する。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 松下は「不確定な主体による、不確定な表現を、不確定な方法で展開しつつある」と語り得た。既成の表現形式を制約として感じとることは当たり前にできても、新しい方法を創り出すことは容易ではない。しかし松下は自信に満ちている。この自信は何からくるのだろうか。学者が論文という方法を捨てることは、表現メディアとして学者を止めることにもつながる(事実として松下はそうなっていったのだが)。自己否定を肯定しうるこの自信は何からくるのだろうか。
 この文章は1969年3月に発表されている。1969.2.2の日付を持つ「情況への発言」と同時期に書かれたものだ。「遠嵐」「北海」「循環」という小説的散文の模索を経て、「六甲」「包囲」に至り、言葉ならざる言葉としての〈 〉を発見、獲得し得たという自負。


いつかは、放蕩息子のように回帰してくるだろうと恥じらいなしに予測する〈 〉。(「包囲」(5))


激しい終わりのない闘いに微笑みながら入っていく松下は、自己の不確定な方法がすでに「全体性や他者の活動を包括する」可能性に開かれていることを知っていたのだ。