松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ハンドマイクやタテカンといったやりかたは古いか?

そんなことはないと思う。

ネグリが「自由の新たな空間」の出現として不断に記憶を喚起するのは「一九
六八年」だが、安田講堂は日本の「六八年」の象徴的な建物で
ある。その建物で、ネグリ・イヴェントが「東京大学130周
年記念事業」として行われるということは、さまざまな問題を
顕在化させずにはおかないだろう。いや、顕在化させなければ
ならないのである。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/8bb6beb465e01ed21cecd53672c7f4e3

かつて姜は、丸山真男を「『異質なるもの』に対する問題意識
はほとんど伝わってこない」と批判したことがある。これは、
丸山のナショナリズムにかかわって言われたもので、別段独創
的なものではないが、姜の主張にもそれなりの理はある。しか
し、一九六八年の東大闘争時の丸山は、最後にはブチ切れたと
はいえ(それにも、それなりの理由はある)、東大全共闘とは
、野次と怒号のなかで「対話」を続けていたのであり、この面
での「「『異質なるもの』に対する問題意識」は、この度の姜
などより、はるかにあったと言えるのである。ネグリ.イヴェ
ントで見せた姜の「思想と行動」は、単に条理的な均質空間の
維持に、官僚的に腐心しているだけであり、「六八年」の丸山
真男にさえ遠く及ばない。(同上)

東大のネグリ・イヴェントの三日後の四月一日には早稲田大学
の入学式であり、われわれは例年どおり、抗議行動としてビラ
まきと情宣活動をおこなっていた。ところが、大学当局は、そ
こで抗議行動をおこなっていた一人の学生を突然とりかこんで
拉致するや、牛込署を呼び逮捕させたのである(いわゆる常人
逮捕である)。(同上)

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