松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

名を呼ぶと火傷する詩人

ちょっとググってみて見つけたが、下記のHPには沖縄返還前から現在までの、熱気ある「沖縄派」の(?)文献集(テキスト)が存在し圧巻である。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/index.htm

新川 明(アラカワ アキラ).氏の文章は次の3つ。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/wo-arakawa.htm
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/gendainome7108.htm#arakawaakira
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/ihafuyuoyomu07.htm#arakawa-i

新川明さんとは誰かと言うと、
上の詩の作者らしい。
大江はこの本のp27で詩を引用し、p30で二つ目の詩として上記を紹介しながら、彼のことをずっと「詩人」という(大文字の)普通名詞で呼びつづけ、固有名を明らかにしようとしない。彼こそ〈拒む〉主体であり、大江は彼の名をおいそれと口に出せないのだ。
それよりもまず、

僕はいまあの詩人の内部に、どのような存在があるのであり、それがいかに持続的な湧出をくりかえす泉のごときものであるかを、そしてそこから湧出したものがどのように確実な核としてかたまるところの火山のごときものであるかを、伝達するために、(p38)

という当為を、大江はp36-43の8頁でなんとか果たす。その後でやっと彼は「詩人」の名をこっそり書き留めている。p44に。