松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

知ることがなんの役に立ったかね?

 沖縄での漠然たる言葉、あいまいないいまわしは、絵の具をぬって草などをさしこんだ迷彩網のような役割をそなえているが、この迷彩網はほとんどつねに、その奥に凄じく異様な実体をかくしている。しかも迷彩網がとり除かれ、それで迷彩網のかげにそういうものをかくしておいた者らが周章狼狽するかというとそうではない。迷彩網はとり除かれた。実体があらわれた。そこで、ふたつの態度がとられることになる。いや、ここにあらわに見えているものは、じつは実在しないのだ、実在しない以上、それが実在するかどうかを、そちらで調査してはならない。われわれがはっきりいおう、それは実在しない。
 もうひとつの態度は、ともかく率直ではある。そうだ、迷彩網の下からこんな怪物があらわれた、怪物を怪物のままにあらしめよ、怪物を正当化し、なお補強する諸工作はわれわれがおこなう、それにきみたちがなにをやることができるかね、この怪物はきみたちの島よりもなお巨大であるところの怪物であるのに。迷彩網はとられた、すでに怪物は剥きだしだ。きみたちはそれに慣れるほかない、ああきみたちは知らなければよかったのに、そうではないか、リリパット国の住民諸君!と開きなおったガリヴァがいうのである。
(p46 同書)

これは何の話をしているかというと、ごく最近「資料」が出てきた「沖縄核密約」存在を明記したキッシンジャーメモ、の前段階となる返還前の時点での沖縄に核が存在したかという論点。

 米核監視団体の天然資源保護協会は十二日、小笠原諸島の父島と硫黄島に返還前まで核兵器が配備されていたことを明らかにした。この発表に驚きと怒りを新たにした人は多いと思う。本県の米軍基地同様、両島の総点検をすべきである。

 見逃すことができないのは、核の存在そのものと同時に、返還後も有事の際の再配備を認める日米両政府の密約があったという点である。両島に関するこの種の事実が明らかになったのは初めてで、この密約が沖縄返還に当たっての核密約の先例になったと思われる。

 同協会は十月「一九七二年の返還前の沖縄に千二百発以上の核爆弾・弾頭が配備され、本土にも六〇年代半ばまで核物質部分を取り除いた核爆弾容器が存在していた」との論文を発表していたが、その時点では「本土」の地域が特定できていなかった。それが今回、父島と硫黄島と判明、両島が核基地化していたことをはっきり示した。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/19991214.html

一九七二年の返還前の沖縄に千二百発以上の核爆弾・弾頭が配備されていたことは事実であるようだ。大江が上の文章で問うているのは、隠された事実を明らかにしたとしても隠している力関係を(部分的にでも)覆すだけの力抜きには、隠された事実が明らかになったといえるような事態にはならないということ。

これは、いま国政の中心課題である、インド洋給油問題で、給油された戦艦が(アフガンでなく)イラク空爆などの行動に参加していたこと、給油量に大きなごまかしがあったことが明らかになりながら、追求する側がそれ以上、追求しきれない問題にまっすぐにつながっている。
<それ>を知ることはなんの役にもたたない。37年前から日本の政治的公開性は向上しておらず逆に低下している。