松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

(沖縄の)優しさとかさなりあったしたたかな拒絶

かってロングセラーだったともされる大江健三郎沖縄ノートISBN:4004150280 C0226は、実はかっても今も読まれていない。
読みうるような文章で書かれていないからだ。この本のテーマは沖縄ではない。そうではなく、「絶対的な優しさとかさなりあった、したたかな拒絶」つまり「沖縄が日本を拒絶する」である。ここで日本とは沖縄を表象代行するものつまり大江自身である。

いくつかの論点は的確に提出される。わたしたちはそれを十分に理解し観賞することができる。

僕はかつてアメリカで、核問題の専門家と話していた時の奇妙な経験を思い出す。かれは鉛筆で極東の地図を描いたが、その地図において日本列島は沖縄の十分の一にもみたない小っぽけさなのだ。考えてみれば核戦略家の頭のなかで、それはまことに自然な地図のかたちであったにちがいない。核時代の今日を生きる犠牲と差別の総量において、まことに沖縄は日本全体をかこいこんだにひとしく、しかもそれをこえて膨大な重荷を支えている。(p33 同書)

 「核時代」なんていう言葉はなんとなく古びて感じられるが、核が米軍の最強の兵器であることに変わりはない。そして沖縄=基地問題に間する本土人の意識は37年前と比較にならないほど低下している。であるとしても、米軍の世界戦略にとっての沖縄(基地)の重要性は37年前(この本の書かれた)より増加している。
米軍の軍事的配置から見た比重において沖縄は本土よりはるかに大きい。沖縄は米国の植民地的支配を受け入れている。しかし沖縄は日本なので日本が米国の植民地的支配を受け入れているということ。すなわち本土人の頭は米国の利益に反する認識は通過する(スルーする)ように洗脳されている。
 客観的事実は明白に存在する。しかしそれを本土人にうまく伝えるのは難しい。しかし大江の苦悩はまた少しズレたところに存在しているようだ。

詩人は、沖縄の復帰運動の本質的な意味あいについて無知にひとしかった僕にたいして、当時はまだ石垣島のみならず沖縄本島においてもまた、なお克服されていなかったところの「母親のふところにかえる」といった考え方が、歴史的にも、現実に即しても、未来の展望のありようにかかわっても、欺瞞にすぎないことを確実な言葉で語った。

 詩人とは上に掲げた石垣島の詩人である。

 私たちは、一貫して問題を、次のように立ててきた―<沖縄>は<本土>を拒否することによって、かつての日支両属・戦後の日米両属の歴史から飛翔しうるのであり、〈本土〉は、まさにそのような〈沖縄〉との関係においてのみ、<本土>としての規定性・日本という規定性を自ら破砕して新しい歴史過程を展望しうるのだ、と。
国境・国家・第三次琉球処分  川田 洋
『情況』1971年4月号所収
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/kawadayou.htm

祖国復帰運動(主流派)への批判を理論的に展開すれば例えば上記川田氏のようになるだろうか。しかし詩人も大江もそのようには語らない。
詩人はただ「かなしみの旗が/夜に同化された憎しみをささげて/うちふられる。」と語るばかりだ。
あるいは詩人は次のように語ったかもしれない。

 沖縄という微細な、それでいて日本列島国家の南端から〈日本〉に対して特異性を主張している島嶼の中に、みずからの〈生〉を不可避的に繋ぎとめているわたしたちが、沖縄の存在とかかわる何らかの言葉を発するということは、とりもなおさずみずからの〈生〉の意味を問うことであり、その〈生〉がどのような姿勢で歴史の酷薄に耐え、あるいは参加しようとしているかを、みずからの〈生〉そのものに突きつけていくことにほかならない。 
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/wo-arakawa.htm

 大江は、おまえ自身の〈生〉のありかを問われ取り乱してしまう。
「あの穀つぶしは、と僕は冷静な観察をおこなう。憐れにも、みすぼらしい徒手空拳で、つみかさねた学殖もなく行動によって現実の壁をのりこえた経験もなく、ただ熱病によって衰弱しつつもなお駆りたてられるような状態で、日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、と思いつめて走り廻っているのだ*1」と大江は、自己を自虐する。<テーマ>に自分が本当にぶつかりながら、それとは無関係に自分が既に所有してたところの自虐的文体を通してしか、つまりひどい迂回路を通してしか自分が表現できないことに気づき、大江は「自分でもいやらしく感じる薄笑いを浮かべてしまう」。

*1:同書p15