松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

大江『沖縄ノート』裁判について

大江『沖縄ノート』裁判についての野原のまとまった文章は下記です。
http://sogets.o.oo7.jp/re54.html#54-1
「いざとなったらこれで死になさい」 culture review54

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
が、大江『沖縄ノート』裁判についていくつもエントリーを上げている。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118/p1
曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071122/p1
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071122/p2
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071122/p3
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071123/p1

僕としては、もう何回も繰り返したので、今さら解説を加えるのにちょっと躊躇するところだが、≪巨塊≫を≪巨魁≫と誤記したり、誤読することは、この集団自決裁判においては、決定的な意味を持っている。そもそも曽野綾子は、大江健三郎が赤松某を「罪の巨魁」(極悪人?)と表現したと勘違いし、それを「赤松は極悪人だ」と理解し解釈し、その結果として赤松という人物に興味を持ち、それが動機で取材を開始、そして赤松本人にも接触した挙句、今度は、赤松某らの方が曽野綾子等の誤読と誤解に基づいた大江健三郎批判を鵜呑みにし、曽野綾子等にけしかけられて、大江健三郎の『沖縄ノート』の表現そのものをろくに確認をしないままに、大江健三郎を告訴し、名誉毀損だと騒いでいるというわけなのである。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071122/p2

が彼の主張のまとめかな。
曽野綾子等批判として、私も彼とおおむね同意見である。

参考:大江氏の最近発言

2007年11月20日朝日新聞』朝刊に、大江健三郎のエッセイ「定義集」が掲載された。「【人間をおとしめることについて】 「罪の巨塊」に込めた思い」、という見出し。(略)
著者である大江がどのような意図で書いたのか、このエッセイに詳しい説明があったので引用する。
http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20071122/p1

http://sogets.o.oo7.jp/re54.html#54-1
 から念のために引いておく。

 かって曾野綾子によって問題とされ、さらに今回名誉毀損裁判を起こされるに至った大江の「沖縄ノート」の一文とは次のようなものである。

 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて 罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。」(『沖縄ノート』210頁)

「A大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と曾野は言っている(註1)のだが、この文章をそう読むことはできない。

 この文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。

 「あまりにも巨きい罪の巨塊」は<わたし>の前にごろんところがっている。つまり予め<わたし>と罪が結ばれているわけではないのだ。だのに<わたし>は、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは、虚偽である。

下記が下書き。リンクつき。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820#p3