ゴマカシの上の戦後日本
(1)
さて最近のこのブログでもいくつかの話題を扱った。
「原爆投下は戦争犯罪である。」http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070730#p1
という命題は日本人にとってはほぼ自明である。一方、米国人にとってはそうではない。日本人は「ヒロシマ・ナガサキ」(の被害)を世界に訴えると言い続けたが、それは「原爆投下は悪である。」ことを米国人に納得させることを直接は目的にしなかった。そうではなく「(自らが)許す」こと、戦争と対立のない世界を願い自ら軍備を捨てるという思想を確立することが重視された。
この「許す」という思想は確かに深みがあることは否定できない。*1
しかしながら「許す」という思想において、日本の現在に起こっていることは、「侵略/抵抗」という自他の緊張間の崩壊である。「原爆投下は戦争犯罪でない。」と主張し続ける米国人を日本人は直視せず、話をそらし別の話で楽しく歓談することを選んだ。
で、今回の慰安婦決議だ。「話をそらし別の話で楽しく歓談する」といった日本風の流儀を米国が取らなかったことを日本人は怒っている。だがそれは自業自得というものだ。「話をそらし別の話で楽しく歓談する」などという文化にはまったく普遍性はないのだから。*2
(2)
日本は非核三原則(ひかくさんげんそく)、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を、日本の国是としているという。
アメリカは、自国艦船の核兵器の搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港する米軍艦船が核兵器を保有していないとは軍事の常識としてあり得ないとされる(上述。ラロック証言より)。これについて日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としているが、これは逆に「協議を申し出るか否かは米軍の自由であり、協議抜きで内密に持ち込む」可能性をも物語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%A0%B8%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87
全くの嘘の上に日本の軍事戦略は成立している。誰のための国防なのか?米軍の利益と国民の利益が相反するとき政府は国民の側に立つのか?これがはっきりしないということは、日本は国民主権の国ではないということだ。ご苦労さん。